2025年5月中旬、現役時代カープ一筋で活躍した正田耕三さんと前田智徳さんが都内で開催されたトークショー「プロ野球温故知新」に登場。
“今だから笑って話せる”赤ヘル軍団のエピソードが数々披露された。
このイベントはプロ野球やプロレス関連のイベントを行う「株式会社シャイニング」が主催。
カープで活躍した2人のイベントとあって、赤いグッズを身に纏った多くのファンが客席を埋め、軽快なトークに幾度もの笑いが起きた。
【MC/文 中嶋絵美(フリーアナウンサー/フリーライター)】
「怖いから、とにかく練習した」現役時代を振り返る
前田氏が入団した1991年には、すでに首位打者や盗塁王を獲得するなどスター選手だった正田氏。「当時はなかなか話しをすることができない少々“ピリついた”空気感があった」と前田氏は話す。
一方の正田氏は入団当初の前田氏について「高校生とは思えないすごいバッティングをしていた。プロの世界に入って、高卒ルーキーを見てすごいと思ったのは唯一、彼だけ」と出会ったばかりの頃の印象を明かした。
かつての赤ヘル戦士たちが“陸上部のようだった”と語るカープの厳しい練習へと話が及ぶと「キャンプで朝、グラウンドを左まわりで10周、右まわりで10周、声を出しながら走るのがとにかくしんどかった。
そこから体操が始まって、ポール間ダッシュ。ヘロヘロになってからメインの練習を迎える。守備練習、ローテーション、バッティング練習、特打…そして夜間練習と続きました」と振り返った。

正田氏が「(前田氏は)現役時代、とにかく練習していた。なぜそんなにバットを振ったのか?」と問うと、その答えは「怖いから」。
正田氏も「打てなくなるのが怖いから練習するしかない。打てば打つほど怖くなる。結果を残し続けなければ、越えなければならない。常に怖さとの戦いだった」と当時の心境を明かした。
一流の選手になれたのも、一途に野球ができたのも“カープだったから”
カープ一筋だった2人の現役生活。前田氏はFA権も取得したが「あれだけケガをしていたら他に獲ってくれるところもないでしょうし、縁があったからカープにいて、そこでやり抜くという想い。一途に野球ができたのはカープだったからだと思う」と語り、正田氏は「僕も前田もそうだし、緒方(孝市氏)も(野村氏)謙二郎も江藤(智氏)も、カープじゃなかったらあそこまでの選手になっていないよ、みんな」と、カープで鍛えられたからこそ一流になったと感じる選手の名前を挙げた。

実は「昔からめちゃくちゃ阪神ファン!」という正田氏だが、もちろんカープ愛にもあふれている。最後に2025年シーズンのカープの展望を聞くと両氏ともに「強いと思う。打線もいいですし、優勝しますよ!」と評価し、トークショーを締めくくった。
どんな話題を振っても必ずと言っていいほど爆笑エピソードが飛び出す2人。爆笑トークの内容は来場したファンだけへのマル秘エピソード、ということでここに記すのは控えるが、笑撃秘話の数々に集まったファンはみな満足そうな表情だった。
トークショー後には、Q&Aコーナーやサイン&写真撮影会が行われ、大盛況のうちに幕を閉じた。
(おわり)

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