2025 年 4 月上旬、ベイスターズ、ジャイアンツで活躍し 2024 年シーズンをもって 18 年の現役生活にピリオドを打った梶谷隆幸さんが都内で開催されたトークショー「プロ野球温故知新」に登場。
野球人生の振り返りを中心に、同級生である 88 年世代現役選手への想いやセカンドキャリアについても語った。
【MC/文 中嶋絵美(フリーアナウンサー/フリーライター)】
このイベントはプロ野球やプロレス関連のイベントを行う「株式会社シャイニング」が主催。
季節が逆戻りしたような冷たい雨の降る日の開催となったが、開場前からエントランスには心待ちにするファンの列ができていた。
プロのレベルに度肝を抜かれた瞬間と活躍の転機1 年目の春季キャンプ初日、投内連携の練習時に 1 年先輩の黒羽根利規捕手(現オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブバッテリーコーチ)の送球の伸びに「度肝を抜かれた」とプロのレベルの高さを痛感した瞬間を明かした梶谷さん。
5 年目まではファーム生活も長く、苦しい時期もあったが、1 軍で活躍するプレイヤーになった転機についてはやはり「中畑(清)監督の存在が大きい」と語る。
「オープン戦からずっとスタメンに自分の名前があるんです。なんで自分なんだろう、他にもいい選手たくさんいるのに…と思いながら、当時はとにかく必死だった。後に、なぜ僕だったのかと中畑さんに聞いたら「光るものが見えた」と言われました」
中畑氏に代わって 2016 年から指揮を執り、B クラスが続いていたベイスターズを 4 年間で 3 度の A クラスに導いたアレックス・ ラミレス氏については「選手にポジティブな言葉しかかけない。日本人は「ここが良くないからここを直せ」という指導が多いのですが、「これだけやっておけば大丈夫だから、カジ」みたいな。そうすると“やればできるのかな”って思ってくるんです。そういう面ですごくいい監督だったなと思います」と振り返った。
梶谷さんといえば 2016 年の“梶谷伝説”の話題も欠かせない。ベイスターズが球団として初出場を果たしたクライマックスシリーズ、ジャイアンツとのファーストステージで、梶谷さんは死球を受け左手薬指を骨折。
「痛くてグローブもはめられる状態じゃなかった」が、翌々日からのカープとのファイナルステージにも強行出場した。「 (怪我直後)すぐに病院に行って血を抜いたりして。そうしたら中畑さんから電話があって「おまえ、絶対出ろよ」と。
(高木)豊さんからも「大丈夫だったらいけ」という感じだったので。とりあえずやってみようと、無理矢理出場しました。ラミレス監督(当時)には「出られるなら出て良いから、おまえが決めろ」と言ってもらいました」
骨折しながらホームランを放ち、フェンスに激突しながらのダイビングキャッチも見せた魂のプレーは、多くのファンの心を打った。
「変化があったほうが人生おもしろい」FA 移籍の裏側2020 年オフ、梶谷さんは国内 FA 権を行使しジャイアンツに移籍。
「どこのチームに居ても、ここまで自分がやってきた環境を変えたかった、というのが一番。それがたまたまジャイアンツだっただけで、手を挙げてくれる球団があればどこでも、という想いでした」

14 年在籍したチームに留まれるなら安定・安心じゃないか?と問うと、すぐに「おもしろくないじゃないですか」と一言。
「ちょっとしんどいところとか、環境を変えた方がおもしろい。変化があった方が人生おもしろいと思っているので」最終的に移籍の話が決まったのは「原監督との電話。「困ったら電話してください」って来たので、即電話して、その電話口で決まりましたね。
88 年世代現役選手への想い移籍を決めたジャイアンツには同じ 88 年世代である坂本勇人選手の存在があった。
「野球選手なら、だれでも一緒にプレーしてみたいと思うんじゃないですか?」という坂本選手について「まぁいい男。とにかく優しい。野球の面でも、ケアも怠らないし準備もしっかりやっている姿が印象的でした」と同じチームで過ごした球友の姿を振り返った。
今年ジャイアンツに移籍し、世代を代表する選手でもある田中将大投手とは、実はこれまで「交流はゼロです。高 3 の甲子園の時に「田中くん写真撮って~」って一緒に写真撮ってもらいました(笑)
その時の写真は今も実家にあります」 と話し会場の笑いを誘ったが、選手としては「コントロールが素晴らしいピッチャーという印象。 (日米通算 200 勝まで)あと 2 勝と言わず、まだまだ頑張ってほしいです」 と活躍を願った。 (イベント開催日の数字)
ベイスターズの宮﨑敏郎選手について尋ねると「自分をしっかり持っていて、芯の強い男です。歳も歳なので「とにかく脇腹だけ気をつけろ、怪我しないように上手に休みながら 1 年間頑張って」と伝えています。彼がチームを引っ張っていって欲しいですね」とエールを送った。
引退後の今とこれから現役を退いた今、プロ野球は「観ないと思っていたら、観ているんですよ!(プロ野球中継配信サービスの)月額会員になりました!(笑)今は“友達が出ている”という見方ですね。勝ち負けというよりも、一選手がみんな怪我なく頑張って欲しい、という気持ちで観ています」
引退を球団に伝えた際、コーチの打診もあったが梶谷さんはそれを断った。その理由について問うと「まだそれだけの熱量を持ってできないと思いましたし、一度野球から離れて、全く違うものを知りたいと思いました。 野球以外のことでも、自分自身の価値を見出していきたいんです」
現在は野球とは全く関係のないビジネスのため始動したばかりだというが「全くやらないと思っていた野球関連の仕事も、こうしてお声掛けをいただいて少しずつ足を運びはじめました。
また機会があれば、ちょっとした僕の話を聞いてもらえたらと思います。今後ともよろしくお願いします」とファンとっては今後も梶谷さんの姿を見られそうな嬉しい挨拶があり、トークショーを締めくくった。
トークショー後にはサイン&2 ショット写真の撮影会が行われ、思い思いのグッズを持ったファンたちが梶谷さんとの交流を楽しんだ。

この記事へのコメントはありません。