2年目までは順風満帆も、勝負の3年目に一転
01年、社会人野球で再スタートを切った森さん。3年後のプロ入りに照準を合わせ、前向きに切り替えて日々の練習に励んだ。
入社後すぐにその実力をいかんなく発揮した。2年目の02年にはベーブルース杯ではチームを優勝へと導く投球でMVPを獲得。同年に韓国・釜山で行なわれたアジア大会の日本代表にも選出された。
社会人野球でも期待以上の結果を残し、ドラフト対象となる3年目の03年、心の涙を飲んだ高3時の”リベンジ”がついに現実味を帯びてきていた。
しかしそんな中、ついに長いトンネルへと足を踏み入れることになってしまう。3月の公式戦に登板した森さんは左肘に違和感を覚えた。その前にあった伏線が暗闇への第一歩だったのではないかと自身では振り返る。
「松坂(大輔)さんが春のキャンプで365球投げたというニュースを見たんです。そのときに、僕も”大輔”ですし『負けていられない』となって。それで365球投げるためのフォームで投げたんです」
しかし、その投げ方によってこれまで左の本格派として鳴らしてきた剛腕が影を潜めて行くことになる。
「(365球を投げた後に)いざボールを投げようとしたら肘に負担が来た。僕の個人的な考えなのですが、それが原因じゃないかと思っていて…完全に投球フォームが変わってしまいましたね」
どのくらいフォームが変わったのか。それはプロ入り後に自信のルーキーカードの写真を見た時だった。
「カードを見るとボールをわしづかみで持っていましたから。もうボールの握り方が分からなくなって無意識にそう握って投げていたんですよね。野球を初めてやる人がまず持つような、それぐらいにまで行っていましたから…」
森さんはその後の公式戦で先発を言い渡された際に肘の状況を伝え、登板回避を申し入れた。しかし、ここで思わぬ言葉が返ってきた。
「周囲からは『お前はどうせ今年プロに行くんだろ』とかなり言われたんです。でも肘は本当に違和感がありましたし、まともに投球もできなかったので、正直休みたいとは思いましたが、無理矢理投げました」
森さんは素直に自らの状態を伝えただけだった。それが曲解され広がってしまい、誤解を解くために投げざるを得ない状況となってしまった。
「プロに行くために温存していると思われてしまっていました。もちろん僕はそんなつもりは全くなかったので余計に辛かったです…」
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