「自分の経験を活かして野球に恩返ししたい」元横浜ベイスターズ・森大輔さん 指導者として歩む中で戻り着く原点
かつて横浜ベイスターズで投手としてプレーし、現在は医療機器メーカーの「白寿生科学研究所」に勤めている森大輔さん。
全4回にわたる企画はいよいよ最終回。引退後は指導者として子どもたちや高校生の指導に当たってきた。自らの経験を活かした考え方、そして沸々と沸いてきたという今後の目標を語っていただいた。
(取材 / 文:白石怜平)
「自分の失敗を活かしたい」少年野球そして母校の指導者へ
2010年に石川ミリオンスターズでプレーしたのを最後に現役を引退した森さんは、その後すぐに白寿生科学研究所へ入社しているが、野球から完全に離れた訳ではなかった。
最初に赴任した島根県で、すぐに少年野球チームに向けた指導を行っていた。
「島根でも存在がバレていまして(笑)。住んでいた場所近くの少年野球のチーム監督からすぐ連絡があって、”ぜひ来てほしい”と言っていただきまして、臨時コーチ的な立場で教えていました」
そして地元七尾市に帰ると地域の方達は大歓迎し、すぐに森さんにオファーを送った。
「僕のことを知ってる方がたくさんいらっしゃるので、すぐに”野球を教えてほしい!”とトントン拍子に進みましたね。そこで少年野球の監督を3年ほどやらせてもらいました」
地元の英雄である森さんが就任したことで、地域の野球は一気に盛り上がりを見せた。就任前はチームで20人前後だったが、就任後は100人近くになったという。
「地域の野球人口を増やす1つのきっかけになったのであれば嬉しいですよね。僕が監督をすると周りが言ってくださって増えてくれたのでありがたかったです」
社会人3年目からはイップスに罹り、プロ生活含めて辛く苦しい期間を過ごした。前章でも「プロ生活では何もできていなかった」と語り、ユニフォームを脱がざるを得なくなった。
それでも森さんは野球を嫌いになることは決してなかった。
「会社に入ってからは野球らしい野球は離れてしまいましたが、でも教える事については自分の失敗を活かして教えられるというのがありましたので、子どもたちから教えていきたいと言う気持ちがありました」
その後18年12月に学生野球資格を取得。20年からは七尾東雲高(母校の七尾工などが再編)のコーチに就任した。高校時代、ドラフト指名を断念したという経緯などもあり複雑な思いもあったが、再び母校で腕を振ることを決断をした。
「プロへの道はここでは一度断念しましたが、僕が地元で野球を伝えることは必要なことだと思っています。なので学校と生徒たちにちゃんと恩返しをしたい思いがあるので、率先して受けることにしました」
当初は新型コロナウイルスの感染が世界的に拡大し始めた時期だったため、活動に制限はあったものの、緩和された現在は1ヵ月で5〜6回ほどグラウンドへと足を運んでいる。