最後の挑戦を後押ししてくれたボビー・バレンタイン監督
メッツのキャンプに参加した際、野球人における恩人がもう1人いた。それがボビー・バレンタイン監督。
メジャー挑戦にあたっては直筆の手紙を当時の本拠地であるシェイ・スタジアムへ送り、それを読んだスカウトが日本で入団テストを行ってくれた。
テストに合格すると、フロリダで再び競争が始まった。メッツで不合格となってしまい終わりかと思ったが、まだ続きが残されていた。
「バレンタイン監督が『他にチャンスがあるかもしれない。君の情報を他球団に伝えてあげるから、もし声がかかったらそこに行きなさい』と。そしたら次の日にマリナーズからオファーが来たんです。」
マイナーの入団テストを受けに来た1人の日本人に、メジャーの監督が直々に声をかけてくれた。意気に感じた平江さんは、フロリダからマリナーズのキャンプ地であるアリゾナへ向かう準備をした。
そして、ここアメリカでも”サプライズ”が待っていた。
「ホテルをチェックアウトするときに、後ろからバレンタイン監督が来て自身のカードで支払ってくれたんですよ。もちろん、最初に僕が送った手紙には『費用は全部自分で出すのでチャンスをください』と書きましたし、そのつもりでいたんですが、監督が支払ってくれて。
当時は英語が話せなかったのでただただ”Thank You”しか言えなかったのですが、バレンタイン監督が握手しながら言ってくれた”Good Luck”という一言は今でも忘れません。」
マリナーズのキャンプでも入団は叶わず、ここで選手としての引退を決めた。清原さんにもあの紙に記された電話番号に連絡し、報告をした。
「お2人にはどこかで恩返ししたいって今でもずっと思っています。あの時のお気持ち・優しさはずっと忘れないです。」