最終年、スリークォーターにフォームを変更
16年オフに契約を更改し、翌年もプレーできることになった今井さんはフォームをスリークォーターにした。
長年オーバースローで投げてきた中での改革。大幅なフォーム改造という野球人生の大きな賭けに出た。
「16年に残れたので何かを変えないとまた一緒になってしまう。どうするか考えた時、スピードも140km/h出ていなかったので、クセのある球を投げようと思いました。肘を下げて回転軸を縦から少し斜めにしました」
ここでもコーチや先輩に教えを請いに行った。当時二軍投手コーチだった佐々岡真司前監督や先輩の江草仁貴投手(阪神二軍投手コーチ)、さらには黒田博樹投手など、一軍で活躍してきた方々にアドバイスを受けた。
「ツーシームを投げようと考えて黒田さんに聞いたり、プレートの踏む位置を真ん中から一塁側の方に立って右打者を抑えられるようにと考えました。ワンポイントでもよかったですし、何か他にない色を出そうと思いました」
17年、なんとか生き残ろうと始めたスリークォーター。挑戦して初めての春季キャンプではあの大打者に実際に球筋を見てもらう機会もあった。
「今監督をされている新井(貴浩)さんが当時現役でしたけれども、二軍のキャンプで調整しててその時プルペンで打席に立っていただいたんです。
そしたら、『バッター、ああいうタイプの投手嫌だよ』って言ってもらえたので、シーズンはこれで挑戦することにしました」
しかし、フォームの変更という改革も残念ながら実らず4試合登板に終わってしまう。9月18日に一軍がリーグ連覇を飾った後の10月4日、今井さんは戦力外通告を受け、ひっそりとユニフォームを脱いだ。
12年間で114試合に登板。今井啓介の名はカープファンの記憶に確かに刻まれている。選手生活をこう振り返った。
「悔しい気持ちもあるし、嬉しい気持ちもあります。自分の人生においていい経験ができた12年だったと思います」
そして、第二の人生に向けた準備が始まろうとしていた。
(つづく)
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