清原和博氏 講演会「野球から学んだ奉仕の心」学生時代に培ったバッティングの礎とは?

己を奮い立たせた3年春での対戦

さらに実力をつけた清原少年は1983年に地元大阪の名門・PL学園に入学。その輝かしい実績のみならず、寮生活など数々のエピソードが本人はもとよりOBから数多く語られているが、ここでも最初に出たのは厳しかった思い出だった。

「とにかく厳しかったですね。炊事・洗濯等もそうですし、上下関係の厳しさなどもあった中で、ホームシックになりました。テレビも新聞も見れなかったですし、外出日も3ヶ月に1回だったので世の中で何が起きているかわからなかったですね」

話題はPL学園時代に

ただ、清原さんは1年生の夏からスターダムの階段を一気に駆け上がることになる。高校時代の主戦場となるのが甲子園だった。

1年夏から3年夏までの5回全てで出場。その間PL学園を全国優勝2回・準優勝2回・ベスト4に1回へ導き、桑田真澄・現巨人二軍監督との”KKコンビ”は社会現象を巻き起こした。

誰もが羨む栄光に満ち溢れた高校野球生活。しかし、ここで挙げたのは勝った時のことではなく負けた時のことだった。

「唯一決勝に進めなかった高3の春、相手が高知県の伊野商業。相手投手は後にライオンズで一緒になる渡辺智男くん。3打席3三振でファールチップもなし。もう心の底から折れましてね、号泣したのを覚えてます」

伊野商業戦の悔しさがその後のドラマにつながった

渡辺投手は全球ストレート勝負だった。西武入団後、本人に聞いた際には「お前のときだけは思い切り腕を振った」と言われたという。

夏はこの悔しさを晴らす。そのためにあることを始めた。

「まだ肌寒い時期だったんですけども、寮に帰ったら体から湯気が出るくらい素振りしました。そこから、夏の甲子園決勝戦まで毎日300スイングすることを自分で決めて一日も欠かさず続けました」

その努力は結果へと表れた。高校最後の大会となる85年の夏の甲子園、決勝の宇部商業戦で1試合2本塁打を放ち、朝日放送・植草貞夫アナウンサーによる「甲子園は清原のためにあるのか!」の名実況を生んだ。

1大会での当時新記録となる5本塁打をマークし、PL学園を2年ぶりの全国制覇に導いた。ここで飯島氏は、素振りについてさらに深堀するとこう答えた。

「バッティング練習で一番大変なのは素振りだと思うんです。そして一番大切なのも素振り。自分も今まで多くの大打者の話を聞いたりしましたが、みんな素振りは基本だとおっしゃっています。ボールを打つと気持ち良かったりしますが、それがないので一番しんどいんですよね」

飯島智則氏(写真左)とともに、講演の内容が広がっていく

センター返しそして素振りというバッティングの基礎を、地道に積み重ねてきた清原氏。甲子園での活躍を引っ提げ、ついにあの運命のドラフトの話へと入っていく。

つづく

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