「息子みたいなものだから」元ヤクルトスワローズ・副島孔太さん 中学時代に結ばれた名将との運命からプロで果たす”恩返し”
かつてヤクルトスワローズで活躍し、現在は指導者としての道を歩んでいる副島孔太さん。高校・大学と名門校でその実力を発揮し続け、黄金期真っ只中のヤクルトに入団した。
当時指揮官だった野村克也さんとは中学生時代から縁があり、やがてそれは結ばれていった。本編から副島さんのこれまでの野球人生を全4回に分けて、その軌跡を振り返っていく。
(取材 / 文:白石怜平 表紙写真提供:ベースボールマガジン社)
桐蔭学園・法政大学と名門を経て黄金期のヤクルトへ入団
東京都出身の副島さんは、1990年に神奈川県の名門・桐蔭学園高校に入学すると1年生からレギュラーに定着。2年生・3年生時には全国屈指の激戦区である神奈川県大会を連覇し、夏の甲子園に2年連続で出場した。
1学年上には髙木大成さん(元西武)、1学年下には高橋由伸さん(元巨人)が在籍しており、2年生の時には4番として本塁打も放つなど活躍を見せ、神奈川県の高校野球史において欠かせない功績を残した。
その後法政大学に進学し、大学通算11本塁打を放つなどここでも強打者として実力を見せ、3年生時には大学日本一にも輝いた。そして、96年ドラフト5位で(現:東京)ヤクルトスワローズに入団した。
法政大では2学年上に稲葉篤紀さんがおり、同じ外野手として共にプレーした。再び先輩とともにスワローズのユニフォームを着て、神宮の舞台が引き続き主戦場となった。かねてから目標にしていたプロへの挑戦についてこう振り返る。
「稲葉さんが2年前に入団してすぐに活躍されてたので、身近な人の姿を観れたのでイメージはしやすかったと思います」
中学時代から始まった野村克也監督との縁
入団時の監督は黄金期を創り上げていた名将・野村克也監督。実は副島さんと野村監督は、中学時代からもはや運命ともいえる線で交わっていた。
副島さんが所属していた「大田シニア」は、野村さんが創設し当時自身が監督を務めていた「港東ムース」と対戦経験があった。その関係で野村さんは対戦相手として副島さんを見ていたのだ。
「当時『野村杯』というシニアリーグの大会をやっていまして、調布シニアと対戦した決勝戦で神宮球場でプレーさせてもらったんです。その時から野村監督に見ていただく機会があって、これも一つの縁だったのかもしれませんね」
なお、副島さんはその中学時代で既に日本代表に選出され、国際大会で中学生ながら神宮球場の右中間中段へ本塁打を放つなどの活躍を見せていた。
副島さんとは同級生で、その試合を観戦していたという井口資仁さん(前ロッテ監督)が「衝撃でした。今でもあのシーンは覚えています」と、上原浩治さん(元巨人ほか)のYouTubeチャンネルで明かしていた。
また、野村さんの息子の克則さん(現:阪神ファームバッテリーコーチ)が同じ時期に明治大に在籍しており、ここでも対戦相手として野村さんの前でプレーしていた。
野村さんもずっと副島さんのことを覚えており、ドラフトで指名を受けた後にこんなやりとりがあった。
「新入団発表の会見後に野村さんを交えて食事会をしたんです。それが終わったら『お前残れ』って言ってくれて2人きりになったんです。そこで昔話をしながら盛り上がって『お前も息子みたいなものだからな。(プロの世界で)何とかしていかないとなぁ』って言ってくれて。それで『何とかしないと』って気持ちが入りました」