「自分でも誇りを持てる」元ヤクルトスワローズ・副島孔太さん 社会人野球でスーパースターから学んだ教訓から夢の舞台に立つまで
かつてヤクルトスワローズで活躍し、現在は指導者としての道を歩んでいる副島孔太さん。
オリックスを退団し、萩本欽一さん率いる新球団「茨城ゴールデンゴールズ」に兼任コーチとして入団。フィールドを変えて野球への道を再び歩み始めた。
数々のチームを経る中で、また野球人生における新たな勲章が加わった。
05年、”欽ちゃん球団”こと「茨城ゴールデンゴールズ」に入団
04年にオリックスを退団後、他球団からのオファーの可能性があったこともあり、翌年の年明けまで練習を続けていた。残念ながら吉報が届かなかったこともあり、NPBでのプレーに区切りを付けた。
ちょうどその時期、萩本欽一さんが社会人硬式野球クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」を創設。副島さんもオファーを受け、野球を続けることになった。
「プレイヤーとしてのモチベーションが少し落ちてしまっていた時期というのもあって、『選手だけは厳しいのでコーチ兼任なら』とお願いしました。今後の指導者という面で勉強になればいいなという思いでした」
新たな野球人生のスタートを切った中、長年勝負の世界で酷使した体が実は悲鳴をあげていた。当時の状況を明かした。
「急にヘルニアが酷くなってしまい、最初のキャンプが本当に苦しかったです。右足が全然動かなかったので。でも話題性が凄くて毎日メディアもたくさん来ますから、注射打ちながらやってました」
萩本欽一さんから学んだスターとしての姿勢
ゴールデンゴールズでは芸能界の大御所である萩本さんが監督を務め、連日グラウンドへ駆けつけていた。試合の時は自らマイクを持ち解説するなど、地元を始め多くの注目を集めた。
副島さんもそのオーラを間近で感じながら、たくさんのことを学んだという。
「ファンの人たちへの対応が本当に素晴らしかったです。一人ひとりに挨拶を丁寧にしますし、サインも長い時は2時間以上かけてでも全員にされていました。僕もそういう姿勢を学びましたね。引退してからだいぶ経った今でも『サインください』と言っていただけるのですが、本当にありがたいですしあの時のことを思い出します」
当時プロ野球は前年の球界再編問題で一度混乱し、社会人野球でも企業チームが相次いで撤退し縮小傾向となるなど、野球界全体で危機感が強まっていた。
ゴールデンゴールズはNPB経験者の選手やコーチも在籍するなどチームを強化。創部から半年足らずでクラブチームの頂点を決める「全日本クラブ選手権大会」に進出した。
副島さんは選手だけではなく、コーチとしてもチームの強化に欠かせない存在になっていた。当時のやりがいについて語った。
「毎日の選手の練習見てるのは僕だったので、チームを作り上げることにやりがいを感じていました。監督に選手の状態や使うタイミングを進言するなど、『どうしたら勝てるか』を突き詰めていきましたし、そこがモチベーションなりましたね」
萩本欽一さんからスーパースターとしての心得をその目で見て学んだ(23年10月撮影)
人気・実力を兼ね備えたチームが与える影響力も計り知れなかった。
「遠征で行きたい場所にチームがなければ、その地域で新たにチームが発足する流れができていました。ゴールデンゴールズがきっかけにチームができて拡大していくというのはアマチュア球界にとっても大きかったと思います」
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