元DeNA・黒羽根利規さん 「大きくなったら一緒に野球しよう」エースの言葉から始まったベイスターズとの運命と転機になった憧れとの交差
20年まで横浜DeNAベイスターズ・北海道日本ハムファイターズで捕手としてプレーし、現在は野球塾の講師などを務めている黒羽根利規さん。
運命的に地元であるベイスターズへ入団し、15年間のプロ生活を送った後はBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスのコーチを担うなど今も野球を軸に活動している。
今回は、黒羽根さんにベイスターズ入団から現在までを全5回に亘りお送りする。
(取材 / 文:白石怜平)
ベイスターズ入団が運命と感じたドラフト3日前の出来事
黒羽根さんは日大藤沢高校から05年高校生ドラフト3巡目で横浜(現:DeNA)ベイスターズに入団した。
複数球団が興味を持っていた中、生まれも育ちも神奈川県の黒羽根さんにとっては地元球団からの指名に「素直に嬉しかったです」と率直な思いを語った。
地元球団という以外にも、少年時代から運命とも言える出来事があった。それはドラフト3日前の出来事だった。
「高校時代は地下鉄で通学していたんですけれども、練習帰りに定期券を落としてしまったんです。途中で降りてまた電車に乗ろうとしたら目の前にスカウトの河原(隆一)さんがいたんです」
そこで会話を交わした際に、河原スカウトからは指名方針を伝えられたという。
「河原さんからは、『黒羽根くんは4巡目で考えているけれども、もし荒川くん(雄太:現西武三軍バッテリーコーチ)が獲れなかったら3巡目で指名するからね』と話していただきました。ホークスが陽岱鋼選手の外れ1位で荒川選手を指名したので、その通り3巡目で指名していただきました」
背番号は当時正捕手だった相川亮二(現:DeNAチーフ作戦兼バッテリーコーチ)が最初につけていた「59」を受け継いだ。