【インタビュー】第7回 元横浜DeNAベイスターズ・黒羽根利規さん①

自ら”4年計画”を立て、前倒しで一軍に

憧れでもあったベイスターズのユニフォームに袖を通し、プロ野球選手としての生活がスタートした。入団時から19歳とは思えぬ落ち着きと、具体的な計画性を持って臨んでいた。

「最初は4年計画を立てていました。1年目は体作りに充てて、2年目はファームの試合に出るようになる。3年目にファームでレギュラーを獲って一軍の消化ゲームで出始める。4年目には一軍に定着するイメージを持っていました」

自身が描いた計画に沿って体づくりから着手する一方、プロの壁に苦しむこともあった。「最初打球がケージから出なかったです」と語った通り、高校時代で見ることは少なかったプロの球の凄さを感じていた。

ただ、これ以上に苦しかったことがあった。そのことをこう明かした。

「実は、1年目に肩の関節唇を痛めていたんです。その時野球が全くできなくて。野球選手なのに野球ができないというのが一番辛くて、ランニングするのにも庇って走っていましたね」

長期で具体的な計画を立て己を高めていった(筆者撮影)

打つことも投げることもできず、患部に負担をかけないように走り続ける日々が続いた。思い悩み一人海に足を運んでは、「こんな状態で大丈夫かな…」などと思い詰めることもあったという。

そんな不安に苛まれた日々から救ったのも己の実力だった。黒羽根さんのセールスポイントは強肩。ドラフトでの指名も、シートノックで見せた高校生離れした送球が元々投手を視察に来たというスカウト陣の目に留まったことがきっかけだった。

痛めていた肩の状態が上がってからは、早くもファームの試合に出場し始める。ルーキーイヤーの06年は26試合に出場した。

2年目の07年はファームで48試合と出場数をさらに伸ばし、翌08年には5月25日のオリックス戦(横浜)で代打としてついに一軍デビューを果たす。

ファームでもフレッシュオールスターに選出されるなど、一つステップアップした年になった。一軍ではこの1打席のみだったが、計画よりも前倒しで昇格することができた。

当時の本心は堅実さを見せる一方で、違う心境も混ざっていた。

「1打席でしたが自分の思っていたペースよりも早く一軍を経験して、『ここを改善して課題を潰していけば一軍でも行けるのではないか』などと考えていたんです。ただ二軍と一軍では投手のレベルも全く違うので、そこは勘違いしてしまった部分も今振り返るとあったのだと思います」

一軍に昇格した当時を振り返った(撮影:moose sports)

徐々に実力を伸ばしていった黒羽根さんは09年・10年にそれぞれ10試合、17試合と年々一軍での出場数を伸ばし、その間にプロ初のスタメンマスクや初安打・初打点も記録。10年8月21日の広島戦ではお立ち台にも上がった。

首脳陣からの評価は確実に上がり結果へと繋がりつつあった。そして、11年にプロ生活の中で1つ大きな転機を迎えることになる。

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