11年の夏、夢が現実になった試合が野球人生の転機に
5年目の11年、自身でもターニングポイントと語った試合があった。8月14日、相模原で行われた中日戦だった。このシーズン初めてスタメンマスクを被った黒羽根さんは先発のエース・三浦大輔(現監督)さんとバッテリーを組んだ。
この試合で好リードを見せ三浦さんは7回2/3、その後抑えで同期入団の山口俊が1回1/3をいずれも0に抑え1−0の完封劇を演出した。黒羽根さんもこの試合1・2番を組んだ荒木雅博(現中日内野守備走塁コーチ)と大島洋平の盗塁をいずれも阻止し、大きなアピールとなった。
また以前から各所で語られているが、三浦さんとは黒羽根さんが少年時代に対面しており、これも運命の一幕とも言えるエピソードがあった。
「三浦さんは今も毎年参加されているのですが、上大岡でのトークショーで僕が地元の少年野球チーム代表で花束を渡す係だったんです。当時は鈴木尚典さん(現DeNA打撃コーチ)と裏の控室でサインや写真撮影をした際に、『大きくなったらベイスターズで一緒に野球しような』と言っていただいたんです」
この時から強い憧れを抱き、ベイスターズに入団することが将来の目標になった。そして実力で掴み取り同じチームになった。入団後の挨拶で2人にそのことを話すと「あの時の子か!」と両者とも覚えていたという。
そこから努力を重ね、ついに10数年越しで一軍の舞台でのバッテリーが実現し、まさに運命が交差した瞬間だった。
「実際プロの選手と話をする機会があると思い出に残りますよね。もちろん試合の時は思い出す余裕はなかったです(笑)。ただ、三浦さんと初めてバッテリーを組んだ試合でしたし、チームも勝たないといけないなどプレッシャーもありましたが、始まったらフラットに臨めました」
その後も三浦さんが引退する16年までバッテリーを組み続けた。そこで学んだことも大きな経験となっていった。
「出したサインに首を振られた場合、ベンチで聞きに行くと『俺はこう思ったから首振ってこの球を要求したんだよ』とか、逆に三浦さんや先輩問わず僕が押すケースもありました。
その時は『僕は捕手から見てこう見えていたので押しました』といったコミュニケーションをよく取っていたので、三浦さんからは特に勉強させていただきましたね」
この試合から一軍での出場機会を大きく増やし、シーズン終了までスタメンマスクを被り続けた。トータル45試合に出場し、翌年以降の足がかりへとなった。
(つづく)
◆関連記事◆
【インタビュー】第6回 元広島東洋カープ・今井啓介さん