黒羽根利規 「自分で決めたことには責任を持ってきた」現役引退の真相と独立リーグでのコーチで得た財産
2020年まで横浜DeNAベイスターズ・北海道日本ハムファイターズで捕手としてプレーし、現在は野球塾の講師などを務めている黒羽根利規さん。
20年シーズン終了後にトライアウトを受けるも、現役引退を決断。翌年からBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスのバッテリーコーチに就任した。
現役を退く決断の裏には、人生において大切にしていたことがあった。第4回は決断の理由と栃木でのコーチ時代を振り返る。
(取材 / 文:白石怜平、以降敬称略)
恩師から獲得可能性を示唆されるも引退を決断
ファイターズから戦力外通告を受けた約1週間後、栃木ゴールデンブレーブスで現在もコーチを務めている飯原誉士(元ヤクルト)コーチからコーチのオファーを受けた。
ただ、その時点ではトライアウト受験前。現役続行の可能性を懸けたい旨を話すと飯原は快諾。「もしどこからも声が掛からなければまた連絡がほしい」と言われ、トライアウトを受験した。
黒羽根さんはここで明確に期限を定めていた。
「終わってから1週間ほど期間があるので、ここを最終ラインと自分で決めていました。その間にオファーがなかったら次の日の午後に飯原さんへ連絡しようと思っていたんです」
この1週間の間にオファーはなく、自身では現役生活に区切りをつけた。しかし、午後に飯原へ連絡する前にある方とのやりとりがあった。
「戦力外になった後からお世話になった方たちに報告の電話をしていて、トライアウトが終わった後に工藤(公康:当時ソフトバンク監督)さんにも連絡していました」
黒羽根さんにとって工藤さんは07年から09年まで横浜で共にプレーした大先輩。自主トレも2年間一緒に行い、プロとしての心構えやトレーニングなど多くの教えを受けた恩人でもある。
「(自分で決めた)期限翌日の午前に工藤さんから『ごめんね!遅くなって』と折り返しの電話が来たんです。そこでトライアウトでの結果を伝えたら『まずは来年1年行けるか聞いてみようか?』と言ってくださったんです」
ただ、黒羽根さんの出した答えは引退だった。現役続行の可能性が再度見えただけに結果だけを聞くと”なぜ?”と聞いてみたくなる回答。
取材現場で聞いていた人全員も思わずそう発してしまったほどだった。そこには黒羽根さんのこれまでの人生の過程そして自らのケジメがあった。
「もし、前日の夜に電話が掛かってきたら『はい、お願いします!』なんです。でも決めた期限を超えていたので。と言うのもこれまでの人生、中学のクラブチームや高校なども全部自分で決めさせてもらっていたんです。自分で決めたことに対しては責任を持ってきたので、ここで変えることはしたくなかった。なので後悔は全くないんです」
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