山本昌さん トークショーに登場 219勝の中で挙げた「最もチームに貢献した試合」とは?

24年12月16日、都内でのトークショー「プロ野球温故知新」に山本昌さんが登壇した。会場が埋め尽くされた中、古巣である中日ドラゴンズへの想いや自身の現役時代について語った。

(写真 / 文:白石怜平)

現在の自身そしてドラゴンズの話題から

本サミットはプロレスや野球などのイベントを行っている「株式会社シャイニング」が主催。中日一筋32年・通算219勝の大レジェンドが、同社の野球イベントにおける24年最後を盛大に締めた。

ゲストに登場した山本昌さん(写真右)と司会の中嶋絵美さん(同左)

トークショーでは現在の話からスタート。山本昌さんは15年に現役引退後は、解説者など野球を通じた活躍の幅を広げている。ネット裏から見るプロ野球について問われると、

「自分は32年もマウンドに立っていましたが、解説するたびに『みんなすごいな』と思っています。9年経ちましたが、こうやってイベントにも呼んでいただけるので、本当にありがたいです」

と解説時の心境を語る。続いて中日の話題では、昨季まで3年連続最下位と苦戦が続いている古巣に向けて前向きな見解を示した。

「僕の持論なんですけども、高卒の選手が活躍してスーパースターになると思うんです。松井秀喜やイチロー、ダルビッシュさらには大谷翔平などもそうですよね。

ドラゴンズでも高卒選手で出つつあると思うんです。岡林(勇希)もそうだし、石川(昂弥)もそう。

バンテリンドームにファンがたくさん来てくださっているので、チームが強くなればもっと活気づくんじゃないかと。その下準備を立浪(和義)前監督がしてくれてたと思っています」

持論を交えながら中日の未来を語った

今季から井上一樹監督が一軍の指揮を執る。現役時代は共にプレーし、チームを優勝に何度も導いた仲間でもある。長くチームメートの間柄だった井上監督が展開する野球についてこう期待を寄せた。

「みなさんもイメージあるかと思いますが、本当に明るい性格ですよね。心優しくて弁が立つので、若い選手のモチベーションを上げてくれるのではないかと。

あとはベテラン選手がそこに乗っていけるか。そこが監督として手腕を発揮する上で重要だと思います。彼も『球場にどんどん来てください!』と言ってくれたので、来季も行ってチームをたくさん見たいです」

来季はさらに球場行く回数が増えると語った

学生時代に掲げていた目標は「学校の先生」

ここからは現役時代の数々のエピソードに。まずはプロ入り前に考えていた意外とも言える目標を明かしてくれた。

「僕、実はプロ野球選手ではなく学校の先生になりたかったんです。小中補欠だったので、中学の担任の先生に『中学で野球辞めます』って言っているんです。

『近くの県立高校で勉強して、大学行って先生になります』と言ったのですが、最後の大会でいいピッチングして野球を続けることになったんです」

その後は日大藤沢高に進学し、神奈川県ベスト8入りを果たすなど実力を見せた。そして83年ドラフト5位で中日に指名された。

ただ、迎えた一年目のキャンプで「びっくりしましたね。これはヤバいところ入ったと思いました」と、早くも衝撃を受けたという。その理由を聞くと会場中が同情するように「おぉ…」という声が届いた。

「一年目、2月1日のキャンプのブルペンです。通りかかったら一組目が4人投げてたんです。最初なのでエース格だったんですね。小松(辰雄)さん・牛島(和彦)さん、鈴木孝政さん、郭源治さんですよ。これはレベルが違いすぎると思いました」

大先輩方の投球に圧倒されたと語る

野球人生を大きく変えた恩人との出会い

今も中日の球団史に名を刻む投手たちが投げ込む球に圧倒され、始まったプロ野球人生。

一軍で初登板を果たしたのは3年目の86年で、消化試合での登板だった。翌87年も3試合登板に終わるなど、ここから29年も現役でプレーするとは本人含め誰も予想だにしなかった。

しかし、人生の大きな転機が88年に訪れる。当時業務提携を結んでいたロサンゼルス・ドジャースとの交換留学で、中日がキャンプを張っていたベロビーチに残ることに。そこでの出会いで大きな武器を取得することになった。

「アメリカでアイク生原さんという恩人に出会って、スクリューボールを覚えたんです。アイクさんも球団にファックスで報告してくれるんですよ。『今だったら日本でリリーフからでも通用できるぞ』などと言ってくれて」

すると、チームが優勝争いしている真っ只中に日本へ帰国するように”指令”が飛んだ。ここでの活躍で、アメリカで得た経験が伊達ではなかったことを証明した。

「近藤真市が怪我をしたのもあって呼ばれたんですね。優勝争いをしていた中、リリーフを2試合投げて先発ローテに入りました。

それで8月の終わりから5勝しまして優勝できたんです。アイク生原さんのおかげでプロ野球選手として軌道に乗れたと今でも思っています」

アイク生原さんへの感謝を改めて語った

219勝の中で印象に残った試合とは?

現役時代の話題は続く。ここでは通算219勝の中で、印象深い勝利をあえて一つ挙げるとしたらどれか。常にチームへの貢献を考えてきた山本昌さんの人柄を表すエピソードが披露された。

「06年にノーヒットノーランをしたのですが、僕の一番はその後に投げた阪神戦です」

その試合は9月30日に甲子園で行われた一戦。当時、落合博満監督率いる中日は岡田彰布監督率いる阪神タイガースと熾烈な優勝争いを繰り広げていた。

遡ること2週前の9月16日、ナゴヤドーム(現:バンテリンドーム ナゴヤ)で行われた首位攻防の直接対決でノーヒットノーランの快挙を成し遂げた山本昌さん。

その間1試合投げた翌週に再び阪神と天王山を迎えることになった。19年ほど前の状況を今も鮮明に覚えている。

「ノーヒットノーランした時も阪神戦だったのですが、そのカードでは僕が投げた前の日に川上憲伸が完封したんです。ただ、この年は夏場まで中日が独走してたんですが、阪神が猛追してきた。

(9月15日〜17日の)名古屋のカードが天王山と言われてたんですが、川上が完封して僕はノーヒットノーランですよ。ただ、次の3戦目に金本(知憲)くんの本塁打で逆転負けして、そこから阪神が息を吹き返して9連勝したところで迎えたんです」

ノーヒットノーラン後の甲子園での試合を挙げた

その9連勝目が山本昌さんの登板前日で、カード初戦に先発した川上憲伸さんが相手エース井川慶さんと投げ合い敗れていた。

この時点で2ゲーム差に迫られ、しかも敵地甲子園という中で絶対に負けられないマウンドを託された。

「前回ノーヒットノーランをやったもんだからファンは殺気立ってるし、選手もすごい気迫だったんですが、それを跳ね返して勝ったんです。

あれでマジックを2つ減らした後、東京ドームでの巨人戦で勝って優勝を決めたのですが、あの試合が一番チームに貢献したと言える試合だと思っています」

”絶対負けられない”試合で勝利を挙げた

8月12日に球団史上最速でマジックを点灯させ、独走体制に入っていたはずだったが阪神が勝利を重ねゲーム差が縮まる日々。

落合監督が優勝を決めた監督インタビューで安堵と感謝の涙を見せながら、「あの追い上げは、球史に残る戦い方だったと思います」と語るほどプレッシャーがかかっていた。

その阪神の勢いを止め、優勝を手繰り寄せたのが百戦錬磨のベテラン左腕だった。

「あれは3連敗してもおかしくなかった試合でした。憲伸が井川くんと投げ合って負けて、僕は福原(忍)くんと投げ合った。1点先制されたんだけども、荒木(雅博)と福留(孝介)のタイムリーで逆転して(7−1で)勝ちました。

異様で殺気立ってる甲子園にビジターで行って、9連勝のチームを止めた。そこで負けていたら逆転されたかもしれなかったですから」

さまざまな悪条件に屈することはなかった

引退の決め手は「ロッカーを見て」

そして中嶋さんから問われた最後の話題は引退の決め手。32年間に亘る現役生活をどのようにピリオドを打ったかを明かしてくれた。

「2015年はドラゴンズにベテラン選手がすごく多かったんです。谷繁(元信)監督・ベンちゃん(和田一浩さん)・ガッツ(小笠原道大さん)・岩瀬(仁紀さん)らがいた。それで当時兼任監督だった谷繁くんが(現役を)辞める、ベンちゃんそしてガッツも辞めるとなりました」

そんな中で見た球場内の光景や状況が自身の心を動かした。

「ナゴヤドームの最終戦に挨拶へ行ったら、辞める選手たちがロッカーをすでに片付けてたんですよ。ふと座って周りを見渡した時に、『一気に若くなったな。これは自分がいてはいけないな』と思ったんです。それで次の日に球団代表に連絡して、当時の白井(文吾)オーナーにも『引退します』と伝えました」

続いて引退の決め手を語った

当時GMを務めていた落合博満さんからは「最後はお前が決めていいよ」と、そのタイミングは委ねられていたという。

8月9日にシーズン初登板を果たしたが、その際に左手の人差し指を突き指してしまい2回表の途中に22球で降板していた。抱えている故障の状況も踏まえ、自ら決断に至った。

「ロッカーを見て『50歳で0勝じゃダメだな』と。あとは(シーズン初登板の時に)突き指をしてしまって、あれは腱鞘炎だったのですが半年かかるんです。

これはもう辞めようということで、オーナーに伝えたら『1試合くらい投げな』と言ってくれたので、最後のマツダスタジアムでの広島戦に投げさせてもらいました」

引退は自らの決断となった

サイン会ではファンの想いが詰まった品も

約1時間設けられたトークショーは盛り上がりを続け、その後は山本昌さんの厚意で即席の質問コーナーへ。屈託のない質問に笑顔で答え、会場がさらに温かい空気がつくり上げられた。

終了後は用意された特典であるサイン&撮影会を実施。

サイン&写真撮影会では直接交流を深めた

ドジャー・ブルーのユニフォームを着たカードや、背番号「34」の限定ユニフォームなど、レアな品を持参した熱いファンの想いに全力で応えた。

思わず「これ持ってるの?すごいね」などと短い会話にも花が咲いた。

写真撮影も都度ポーズを変えたり自ら肩を組むなど、イベントを通じてファンへの感謝、そして自身も楽しむことができた時間となった。

(おわり)

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