2度目の”このままだとクビ”宣告からシーズン通じて一軍へ
しかし、10年は32試合の出場にとどまり、11年はキャンプからファームでのスタートとなった。ここで再び巻き返す転機が訪れる。
「当時ファームの監督だった白井(一幸)さんに声をかけてもらい、『お前今年でクビだぞ』とここでもはっきり言われました。確かに前年の成績から危機感がありましたし、『キャンプ初日に言われるんだ…』と正直思いました」
当時のチーム事情から、内藤さんには二塁手に挑戦するよう首脳陣から打診された。今年ダメなら戦力外と崖っぷちに立たされていた内藤さんは、「何かを変えないと出場機会を増やせない」と挑戦を決意。
三塁・一塁の他にもバリエーションを増やし、アピールを続けた。初日に”クビ宣告”を受け不安から始まったキャンプも終わる頃には心境に変化があった。
「2011年はキャンプがすごく楽しかったんですよ。白井さんになって、自分の好きな練習ができた。全体練習は短かったのですが、その後に個人練習ができた。自分の練習にしっかり取り組めたのでとても充実していました」
11年はプロ生活で輝きを放ったシーズンの1つだった。4月12日、横浜スタジアムで行われた中日との開幕戦(※この年は東日本大震災で延期となっていた)、4−4で迎えた9回裏1死一・三塁の場面で代打で登場。
内藤さんはそこで中前へタイムリーを放ち、サヨナラ勝ちへ導いた。相手はこの年MVPに輝いた浅尾拓也投手だった。
お立ち台ではこれまでの苦労が頭をよぎり、涙を見せた。チーム8年ぶりとなる開幕戦勝利に貢献した内藤さんは以降一度もファームへ行くことなく完走。自己最多の99試合に出場した。
「バッティングにおいても、白井さんから縦振りのスイングを教えていただいていました。確かに自分の調子がいい時、肩が開かず素直にバットが出るのですが、状態が悪くなってくるとめくれ上がる感じになるので、いい時の意識を持って戻したりとか、白井さんの教えによって自分の引き出しが増えたのを感じた年でした」
この年のオフからは親会社がDeNAとなり、「横浜DeNAベイスターズ」が誕生。中畑清監督が就任し、気持ちを新たに臨むもこの2年間は壮絶な苦労そしてある出来事が待ち受けることは想像するはずもなかった。
(つづく)
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