アメリカへの留学時、”カリブの怪人”とチームメートに
ドラフト外ということで、契約金もなくスタートしたプロ野球生活。高校時代も故障で満足にプレーできない影響もあり、入団後はファーム生活が続いた。
プロ4年目のオフを迎えようとした時、嶋田さんに今後の野球人生を左右する転機が訪れた。
「4年目のシーズンが終了したタイミングで、(ニューヨーク・)ヤンキースに3ヶ月ほど留学に行きました。当時球団と業務提携を結んでいて、毎年ファームで活躍した投手と野手が1人ずつ派遣されるのですが、この年野手は僕になりました」
チーム編成としては2A〜ルーキーリーグの選手が中心で、ピッツバーグ・パイレーツなど複数のチームでリーグ戦を行うものだったという。
チームメイトにはオレステス・デストラーデさん(元西武ほか)や後にメジャーで通算116勝を挙げるホセ・リーホさんが在籍し、一緒にプレーしていた。デストラーデさんとアメリカでプレーした時の印象は今も鮮明に記憶に残っている。
「彼は当時から三振かホームラン(笑)。すごいスイングするなぁってベンチから見てましたよ。後に日本に来て一軍で対戦した時には
『Do you remember me?』って声をかけに来てくれました。お互いに覚えていましたよ」
目の当たりにしたアメリカのシビアさ
嶋田さんはアメリカでプレーする中で、現地の選手たちのフィジカルやプレースタイルもさることながら、環境面においても衝撃を受けたと語る。
「試合中にベンチで隣に座っている選手が、”NY”のロゴが入った短パン履いたスタッフに呼ばれるんですよ。何かと思いますよね?戻ってきたら自分の道具を片付けて外に出ていった。
チームメイトにどうしたのか聞いたらもうクビだと。着ているウェアもボロボロだったのも見て、やっぱり日本は恵まれているんだなと思いましたね」
シビアな世界を肌で感じる日々を過ごす中で、「気がついたことがあった」と語る。
「アメリカの選手はすんごいタフだなと。もう朝6時過ぎには球場に来て、10時から始まる練習の前にウェイトトレーニングとか自主練をガンガンやっている。そういう姿勢も実際に見れたので行った意味はあったと思いますね」
これらの経験を持って帰国した嶋田さんはプロ5年目の83年、ついに一軍デビューを飾ることになる。
(つづく)
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