【インタビュー】第10回 元日本ハム・嶋田信敏さん③

「”10年後に何をやっていたいか”を考えるのも大事」元日本ハム・嶋田信敏さん 引退後の豊富な経験から成る現役選手へのメッセージ

かつて日本ハムファイターズの外野手として活躍した嶋田信敏さん。

一流選手の道具や姿勢などを間近で観察し吸収することで、プロとしての意識と技術を高めてきた。83年、苦節5年目で初の一軍昇格を果たすとその後は出場機会を伸ばし、90年・91年と外野のレギュラーを担った。

しかし、その後は故障の影響もあり94年に現役を引退。野球に携わりつつ営業マンも務めるなど、様々な仕事を経験していった。

本編ではセカンドキャリアにおける現役選手へのメッセージを添えつつ、引退後の活動を振り返った。

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(取材 / 文:白石怜平)

手首の怪我が引き金で引退を決意、即コーチ就任へ

90年、91年と100試合以上に出場し一軍に定着していた嶋田さん。しかし、92年以降は約半分に減ってしまい、94年は5試合の出場に終わり現役を引退した。

「当時手首を痛めてしまって、手術したんだけれども感覚が戻らなかった。そのうちに足を肉離れしてしまって、いよいよだなというところで94年途中に球団から『コーチをやらないか』という話をもらったので引退を決めました」

弛まぬ努力と探究心で16年もの間現役でプレーした(写真中央:本人提供)

95年からは二軍の外野守備走塁コーチを担当し、2年間ファームの選手を指導。選手たちの兄貴分として慕われながらも惜しまれつつ96年に退任した。球団から退任を告げられた際、ここでもある先輩の一言が嶋田さんと球団の縁がつながったままになれたと語る。

「猿渡(寛茂)さんからね、『ノブ!ちょっと来い!』って言われたので何だろうと思ったら、『いいか、何も言わずに ”お世話になりました。ありがとうございました。”で終われよ。文句なんか絶対言うなよ!』

って声をかけてくださったんです。後から思うとそこで不満やら言ってたら、大島(康徳)さんが呼んでくれた時に戻れなかったんじゃないかなって思うんです」

「社会に馴染める立ち振る舞いを経験できた」

コーチを退任後は野球界以外の世界も経験することに。ソニー生命に入社し、営業マンとしてのキャリアをスタートした。その傍らで選手・コーチの経験を活かし、解説者としてもデビューした。

少年時代から野球一筋、37歳になる年に初めて一般社会に出ることになった嶋田さん。営業での話術が解説業との相乗効果を生むなど、貴重な経験を積めたと語った。

「ソニー生命に入って、ロープレ(ロールプレイング)というのを人生で初めてやったわけですよ。そこで話し方について鍛えられて、解説に役立った。プラス名刺を渡すことやアポイントを取って挨拶しに行ったりもして、一般社会に馴染めるような会話・立ち振る舞いなどを経験できた。

野球界にずっと残れるなら幸せなことなんだけれども、ほとんどの人はそうは行かない。一般社会でもお店をやったり、会社を立ち上げたりサラリーマンをやったり。野球を辞めてからの方が長いわけだから、ソニー生命での3年間は本当にありがたかったですよ」

野球以外の世界を見れたのは貴重だったと語る(撮影:MOOSE SPORTS)

00年、大島さんが日本ハムの監督就任のタイミングでコーチに復帰。本拠地が東京最終年となる03年まで一軍の外野守備走塁コーチを担当した。

その間のエピソードは大島さんとの話の中で後述するとして、4年間のコーチ生活のあとは野球教室を運営し子どもたちの指導をスタート。そして、再び解説にも復帰し野球を通じての活躍を続けた。

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