「どんな状況になろうともユニフォームを着る」中村紀洋さんを奮い立たせたある方の言葉と”生涯現役”に込めた意図とは?

近鉄などで活躍し、豪快なフルスイングでプロ通算404もの本塁打を放った中村紀洋さん。

9月下旬、都内でのトークショーでプロ入りから現在までを語った。近鉄で本塁打王や打点王のタイトルを獲得するなど、日本を代表するホームランバッターとしての地位を築いた。

しかしその近鉄が04年限りで消滅し、次なる活躍の場をアメリカへと移した。以降は複数球団を渡り歩くことになり、その先々にもドラマが待っていた。

第2回目は、アメリカ挑戦から”生涯現役”を掲げる現在について取り上げる。

>前編はこちら

(写真 / 文:白石怜平)

マイナーで再び思い出した「野球の楽しさ」

移籍した球団は04年のスプリングトレーニングで一度プレーしたドジャース。3年ぶりの”復帰”は正式に在籍する形としてドジャー・ブルーのユニフォームに袖を通した。

シーズンではマイナーでの生活が中心となるが、この期間がまた新たな心境の変化を呼び起こした。

「マイナーにいたんですけども、その時純粋に『野球ってやっぱり面白いな』って思えたんですよ。あれがメジャーにいたら違ったんじゃないかなと。そんな期間でした」

一度は”仕事”の意識になった野球を純粋に楽しいと思える期間だった

マイナーでは、メジャー昇格を目指す若い選手が己の一芸を磨いていた。投手が毎打席代わる中、その勝負を楽しんでいたという。

「現地の若い子達と一緒にやってて、当たり前のように160キロ投げるので、めちゃくちゃ球速いんですよ。

でもネクストバッターズサークルに立って見ていると全部ボールですよ。『こりゃ来るかもしれない』と思ったら、ホンマに頭の方にボールが来たんですよ。球速見たら163km/h。それでも避けられたんです。

『まだ行ける!』と思って勝負やと。避けるのも勝負ですから。こういったスピードボールなど『どんな球を投げてくるのかな』と対戦するのが楽しみでした。

それやったおかげで半年しかいられなかったですけども、野球をもう一度やろうとなれました」

ユニフォームを着続ける意味を与えてくれた言葉とは?

06年にオリックスに移籍し日本へ戻ることになるのだが、この復帰劇の裏側にあった一つのストーリーが以降も野球への熱を灯し続けられた原動力になっていた。

「オリックスに戻る時、仰木さんに呼んでもらったんですよ。もうその時から闘病されていて、実際戻った時は会えなかったんですよ。

その時に『一年でも長くユニフォーム姿を見せてください』と奥様に言われたんです。

僕は仰木さんのご実家に行って手を合わせたいと、奥様に連絡させてもらったんですが『来なくていいですよ』と。

そしたら、『一年でも長くユニフォームを着てる姿を仰木は見てますから』と言われたんです。なので、どんな状況になろうともユニフォームを着てプレーしようと決心して続けられたんです」

長くユニフォームを着る決意が固まった瞬間だった

オリックスでは故障の影響もあり、一年で退団。07年に中日の落合博満監督に拾われる形でまずはテスト生としてキャンプ途中から合流した。

「ドラゴンズに入る時もあの言葉を思い出して、何とかユニフォーム着て、一軍で活躍する姿を見せるためにやっていました。落合さんに感謝ですよ本当に」

その言葉通り育成選手から開幕前に支配下選手への復帰を果たすと、レギュラーの座を勝ち獲り、チームの日本シリーズ進出の原動力となった。その時満身創痍だった状況を明かした。

「実は腰を骨折してて、注射を打ちまくっていましたね(笑)。特に守る方が大変で、予期せぬ動きをした時が激痛でした。あの時はトレーナー1人、あと落合さんは知ってたかもしれないくらいです。

でも痛いとは言えないです。言うと出してもらえないので、ここは意地でも日本一にならないといけないと思っていました」

07年の日本シリーズでは18打数8安打の打率.444、4打点と活躍しシリーズMVPに輝き、お立ち台では涙を見せた。

激動の07年を振り返った

野球界の底上げのために掲げる”生涯現役”

その後、楽天と横浜・DeNAと渡り歩いた中村紀さん。

14年限りでDeNAを退団して以降はユニフォームを着てプレーしていないが、”生涯現役”を掲げ、精力的に野球と向き合ってきた。

その想いついてもこう語っている。

「僕の中では”引退します”という報告はいらないと思っています。野球はプレーしないけれども、他のことができるのでまだ現役でしょうと。若手の育成など何かできるのではないかと考えて、”生涯現役”としています」

”生涯現役”とした意図を語った

17年からは静岡県の浜松開誠館高校で非常勤コーチに就任。高校生への指導をスタートさせた。そして22年から2年間は中日でコーチを務めた。プロを教えるに当たっての考えをここで述べた。

「プロの場合は教えることはないんです。提案するのはいいと思います。『この時はこんなボールが来るよ』といった配球の面や、『ここを直せば対応できるんじゃないか』程度でいい。

手取り足取り教えるのはどうかなと。いずれ自分で決断(=引退)しなければいけない時期が来るので、納得して終わってほしい想いがあります」

中日でのコーチ退任後、今年1月から再び浜松開誠館高校のコーチに復帰。今は静岡を拠点に、ほぼ毎日グラウンドで指導を行っている。ここでは、プロとの教え方の違いについて自身の考えを語った。

「高校生の場合は強く振れるようにすることです。振れない限りは応用ができないです。それは小学生や中学生の時からの指導が大事で、その時に指導者が勝利のためにエンドランやバントをさせるより、思いっきり3回振ってベンチ帰ってきたら『よく振ったな』と褒めてあげる。それくらいの気持ちで接していいと思うんです」

アマチュアの指導における持論も明かしてくれた

参加者からの質問も交えながら、約1時間のトークショーを終えた。最後には、今後の活動に向けて自身がやりたいことを語ってショーを締めた。

「野球界の底上げのために、プロでやってきた人の声を身近に聞かせてあげたいんです。子どもたちに”野球は楽しい”というのをもっと知ってもらえるような働きをしていきたいです。

僕自身も昨年教え子が甲子園に出てくれて、今も甲子園を目標に教えています。アマチュアの方たちに自分ができることがないかを日々模索していますので、チャンスがあればどんな方たちであってもアドバイスできる環境を作っていきたいと思っています」

”生涯現役”。その言葉通り、中村紀洋さんはこれからも野球を通じた挑戦は今も毎日続いている。

(おわり)

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ピックアップ記事

  1. 近鉄などで活躍し、豪快なフルスイングでプロ通算404もの本塁打を放った中村紀洋さん。9月下…
  2. 9月下旬、都内で中村紀洋さんのトークショーが開催された。近鉄”いてまえ打線”の4番を務め、…
  3. 現在台湾の社会人野球チーム「覇龍隊」でコーチを務めている金丸将也さん。昨年は地元宮崎の独立リーグ球…

カテゴリー

ピックアップ記事

  1. 近鉄などで活躍し、豪快なフルスイングでプロ通算404もの本塁打を放った中村紀洋さん。9月下…
  2. 9月下旬、都内で中村紀洋さんのトークショーが開催された。近鉄”いてまえ打線”の4番を務め、…
  3. 現在台湾の社会人野球チーム「覇龍隊」でコーチを務めている金丸将也さん。昨年は地元宮崎の独立リーグ球…
PAGE TOP