昨年メキシカン・リーグのレオネス・デ・ユカタン(英語名:ユカタン・ライオンズ)でプレーし、引き続き新シーズンに臨む乙坂智選手。
DeNAを退団し、臨んだメキシコでの一年は3チームを渡り歩くなど激動の日々だった。
そんな過酷な環境で生き残るために活路を見出し、成績も収めた。このオフにウィンターリーグに参加し、次は再び大陸を渡ってプレーを続けた。
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(写真 / 文:白石怜平)
メジャーのスーパースターと共演も
メキシコでの一年目を終えたオフ、さらに己を高めるべくウィンターリーグの参加を決めた。この年はベネズエラのブラボス・デ・マルガリータというチームに入団した。
このチームに入れたのもメキシコでの縁が繋がっていた。レッドデビルズ時代のチームメイトが「ベネズエラ行こうよ!」という声を受けたことがきっかけに。
ここではメジャーのスーパースターと間近でプレーする機会となり、乙坂にとってはさらに実りある期間となっていた。
「相手チームだったんですが、アクーニャJr.(ブレーブス)がいました。後はユニジオ・スアレス(ダイヤモンドバックス)などメジャー経験者がたくさんいた。
いい選手がいたら聞きに行きまくりましたし、自分は切磋琢磨する気持ちで負けないぞという想いで臨んでいましたね」
アクーニャJr.にも自ら積極的に聞きに行き、MLBで盗塁王2回・40本塁打以上も2回記録しているスーパースターは、試合中も乙坂の打席をチェックしてくれたという。
「彼には『打席で何を考えているか』を訊きに行ったのですが、すごくシンプルでした。”詰め込みすぎない”とか、”一番速い球に合わせる”と。
『お前何でも打てるじゃん』って言われたんですが、『いやいや、お前のほうが打てるでしょ』って返しちゃいました(笑)」
リーグでも結果を残しオールスターにも選出され、アクーニャJr.とチームメートとしてプレーした。ウィンターリーグでは56試合に出場し、打率.333・15盗塁の成績をマークし、リーグ盗塁王に輝いた。
「オールスターで僕がライトで彼がセンターで守ったのですが、感動しましたね」
自身が海を渡った理由の一つは、MLBへの挑戦も目標に置いてのものだった。
ただリーグで堂々たる成績を残しても、その舞台でトップレベルの選手と間近に接してみても、夢の舞台についてはまだイメージが沸かなかったという。
「メジャーを目指して海外行ったんですけど、近づけば近づくほど遠い壁だなって思いましたね」
そして海外挑戦2年目はアメリカに活躍の場を移し、新天地でプレーすることになった。
23年はマイナー契約を目指しアメリカへ
メキシコでシーズンを、ベネズエラでウィンターリーグを戦った乙坂は23年にアメリカへと戦いの場を移す。独立リーグ・アトランティックリーグに所属する「ヨーク・レボリューション」に入団した。
同リーグは20年にMLBパートナーリーグに認定されており、メジャー球団と契約するケースもあるなど、MLBでのプレーを視野に入れる乙坂にとってはマッチした環境だった。
リーグでは、メジャーで自由契約になった選手やマイナーや他のリーグで実績を残してきた選手もいた。より目標に近い位置でプレーしたアメリカの野球について感じたことを話した。
「アメリカもまたこれまでと全然違いました。特にアトランティックリーグはチームではあるのですけどが”個”が強い。チームプレーはあるのですが、一人ひとり活躍しないと次がないので、それが顕著に出ていました。
パワーあるけど足やミート力が低いとか、球は速いけどコントロールがアバウトといった一芸に秀でてる選手が多い印象でしたね。
打者だと送りバントやエンドランはほぼないですし、フルスイングでホームランを狙う。セーフティーバントをやる選手はほぼいなかったですし、投手だったら速い球投げて三振を奪う選手が多かったです」
ここでもメキシコで培った自身の強みを活かした。「僕はガンガン小技を絡めるのが生き残る道なので」と語った通り、ミートや走塁で力を発揮し存在感を放った。
毎年違う国を渡り、この年はウィンターリーグも含めて初めてアメリカでプレーした。ここでまた文化の違いを感じることができた。
「僕が一番驚いたのは、アメリカいる時に選手が凡退してコーチのところに自分から『俺は何で打てないんだ?』と聞きに行くんですよ。
日本だと凡退したら、ベンチの端っこに座って怒られないようにってなると思うんですけども(笑)
打撃コーチが『俺はこう見えるけどどう思う?』ってディスカッションして、じゃあ次はこうしてみようとなる。会話が生まれるんですよね。そういうのはすごくいいなと思いました」
待遇面でも独立リーグならではの厳しい事情もあったと言う。その過酷さも明かしてくれた。
「アメリカの契約期間は1ヶ月。ちなみにメキシコは都度契約書を書くんですけども、アメリカは書かなかったです。あと…めちゃ給料安いんですよ(苦笑)。
ホテルも自腹なので、ニューヨークとか行ったら一泊25,000円するんですよ。それを3泊。月の半分も遠征ですからめちゃキツかったですね。これはすごいなと思います」
メキシコではナタを持って自転車で追いかけられるなど、命の危険とも隣り合わせの生活だった。
第2回でこの治安について話をした時に「メキシコの治安が悪いのではなくて、日本が良すぎます」と語ったが、そこに気づけたのがアメリカ時代だったという。
「アメリカに行って見え方が変わりましたし、気づいたんです。『海外じゃなくて日本がやばいんだ』と。ベネズエラは治安が悪いと報道されますけども、地元の方はすごく温かい方たちでしたし、自然も豊かでいい国でした。
その頃から『?』が付きはじめて、アメリカ行ってこれは報道と違うなと感じたんです」
成績としては、111試合に出場して打率.330・42盗塁というリーグでも上位の好成績を残し、また外野手部門のゴールドグラブ賞を受賞する活躍を見せた。
アメリカも厳しい競争社会。メキシコで「明日野球するために頑張る」というハングリーが必要なところは変わらなかった。そんな中でも成績を残し、またこの冬にもウィンターリーグへ挑戦した。
(つづく)
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