10月6日(金)山梨市民会館にてJAIFA 関東甲信越ブロック大会が開催され、「未来へ」と題したトークショーに読売ジャイアンツ特別顧問・野球解説者の高橋由伸氏が登壇した。
野球をはじめたきっかけから高橋氏の「未来」まで、盛りだくさんの講演内容を一部抜粋してイベントレポートとしてお届けする。
前編は、アマチュア時代や、スター選手揃いだった当時のジャイアンツの中で、特に影響を受けた選手の存在などについて。
(トークショーMC/文 中嶋絵美)
ー野球を始めたきっかけはなんですか?
千葉県千葉市出身なのですが、千葉市といっても田舎というか、ポツンと一軒家みたいなところに住んでいて。近所に同級生もおらず、“遊ぶ”といったら母親に庭でボールを投げてもらって野球をやる、というくらいで。
そのうちに兄が地域の少年野球に行くようになって、それを追いかけて見ているうちに本格的に始めるようになりました。
遊びから入ってその延長戦で野球を続けて。今となってみれば、最初に偶然でも、一番得意な、好きなスポーツに出会えたのはすごく幸せなことだったと思います。
―お父様の熱心なご指導があったのですよね?…竹を使った練習とは?
春先は実家の庭でタケノコを掘って食べていたくらい、いくらでも竹が生えている環境だったんです。その竹を父が切ってきて、それを使って練習をしていました。
小学生当時、自分よりも背の高い竹を振ったり、バットと同じくらいの長さの竹を投げたり。
小学生でまだ腕力もない中、自分の身長よりも長い物を振るとなると、手だけではなかなかうまく振れない。体全体を使ってバランスよく、タイミングよく振ると振れる、ということが学べました。
父もなぜその練習法を思いついたのかは分からないんですが、身近にあるものを使った、今思えば、非常に理にかなった練習でした。
―高校は神奈川県の強豪・桐蔭学園に進学。寮生活を経験することになりますね。
小さい頃から毎日のように父と野球の練習をしていたので、父としては近所の高校に進学させてこれまでと同じように、という想いがあったんですが、母には「このまま父とやり続けてもこの子は続かないんじゃないか」という想いがあって。
本当に甘やかされて育って、少年野球に行くときも用具は全て前日に親が用意してくれていましたし、グラブもスパイクも全部磨いてくれて。
それを見ていた母親がダメだと思ったんでしょう、偶然神奈川の全寮の高校からお誘いがあったので、いい機会なんじゃないかと、桐蔭学園に進学することになりました。
―寮に入ってよかったですか?
今思えば、よかったですね。当時はいやでしたよ(笑)僕が入った時の桐蔭学園の寮って11人部屋なので…
―そんなに多いんですか!?
学校の教室だったんですよ。そこに机とタンスと二段ベッドがあって、10人~11人でレイアウトをして、その中で生活をしました。
それまでは家に自分の部屋があって、なんでもやってもらえる環境で生活していたのに、常に他人と一緒にいる。自分1人になる時間がなくて気も休まらないし。
ただ、運よく1年生から試合に出られたので、野球をやっている時間が気が紛れる時間になりましたし、試合に出ることで先輩との距離も他の1年生に比べて少し近かったように思います。
集団生活で常に連帯責任がつきまとう中で、“人に迷惑をかけちゃいけない”とか“自分のことは自分でする”というのは、ここで最初に身に着きました。
―地元にプロスポーツチームがないと、高いレベルの競技に触れることができず、目指すものが分からなくなってしまう子どもたちもいるようです。
野球に限らず1つのことを突き詰めていくにはどんなことが大切だと思われますか?
僕の小さい頃はまだ千葉ロッテマリーンズもなかったですし、身近にプロ野球はなく、年に1.2回後楽園球場に巨人戦を観に行くくらいで、プロ野球選手になれるとも思っていませんでした。
「先が見えないなら続けられない」というのはあると思いますが、今はインターネットや動画サイトなど、自分たちで工夫すればいくらでも様々な情報が入る時代。
自分から積極的に情報を集めて、興味を持つことが継続に繋がると思います。
バスケットやラグビーのW杯での日本代表の活躍、野球はWBCでの世界一や、サッカーW杯もベスト16。どのスポーツも世界で戦えるレベルになってきて、目指すところが僕らの時代とは変わってきているし、選択肢も増えてきている。世界で勝てるスポーツが増えてきているので。そういったところも励みにして欲しいです。
―由伸さんは、真剣に野球を辞めたいと思ったことはありますか?
あります。元々、中学までと思っていました。自分でも周りに比べて上手い自覚はあったんですが、プロ野球選手なんて全く描いていなかったし、「このまま野球を続けて何になるんだろう」ってどこか現実を見てしまっていたんですね。
ただ、親が僕以上に「できる」と思ってくれていて、「高校まででも続けて欲しい」ということで「じゃあ続けます」と。
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