【インタビュー】第5回 元横浜ベイスターズ・森大輔さん②

「自分はまだできる。もう一度復活させたい」元横浜ベイスターズ・森大輔さん もがき続けたプロ野球生活、そして再起に向けた挑戦

かつて横浜ベイスターズの投手としてプレーし、現在は医療機器メーカーの「白寿生科学研究所」に勤めている森大輔さん。

社会人3年目に”イップス”を発症し、もがき苦しむも03年ドラフト自由獲得枠で横浜(現:DeNA)ベイスターズに入団。

第2回は不安から始まったプロ野球生活、そして自らの可能性を信じ挑戦しつづける男の生き様を追った。

>第1回はこちら

(取材 / 文:白石怜平)

「一瞬で終わっていました」一軍での投内連携

社会人時代3年目に、思い通りのプレーができなくなる運動障害”イップス”を発症した森さん。「不安しかない」という状態で、プロ生活をスタートした。

2月のキャンプを迎えるまでに、心理的不安を取り除くよう模索した。投球はほとんど行わずに体作りのためのトレーニングと心身ともにケアし、負担をかけないようにしていた。

そして横須賀で行われた1月の新人合同自主トレ。森さんはブルペンに入った。

「イップスを持っているなりにも割と投げれてしまうんですよ。145km/h位は出ていて、受けてくれた秋元宏作さんが『速いボール投げるね!』と言っていただくほどでした」

キャンプは一軍メンバー入り。ブルペンでの投球を見た当時の山下大輔監督も開幕一軍まで名言するほどだった。イップスを克服し、本来の実力を発揮できる段階まで到達するかと思われたが、その期待は一瞬にして崩れ去った。

森さんは投内連携に参加した。マウンドに立つと後ろには錚々たるメンバーがバックに就いていた。

石井琢朗選手や佐伯貴弘選手という98年の日本一戦士、当時23歳で不動の地位を目指す村田修一選手や古木克明選手、中日時代に星野仙一監督の下で鍛え上げられてきた種田仁選手、正捕手の座を狙う相川亮二選手らがピリピリとした雰囲気で構えていた。

「もう頭が真っ白でしたし、記憶に全くないです。一瞬の出来事だったので」

投内連携が終わるとすぐにファーム落ちとなった。結果的にこのシーンが一軍のメンバーとしての最初で最後となってしまった。

一軍での投内連携の記憶がほとんどなかったと言う

ファームで仕切り直しとなったが、ブルペンに入るとその実力の片鱗を見せていた。

「当時三浦正行さんがブルペンキャッチャーとして受けてくださったのですが、ブルペンだとやはり投げれてしまうんですよ。三浦さんから立ち投げの時に『何で一軍から落ちた投手がこんなボール投げているの?』って言ってくださって。

でも、マスクを被って座ると全くストライクは入らない。そこから三浦さんにアドバイスをもらいながらやっていたんですが、そのまま治らずに3年間過ごしていた形です」

ネットスローやシャドーピッチングなどで、もう一度投球フォームを作り直したり、自身でサイコセラピストの指導を仰ぎメンタル面での改善も図ったりもした。それでも打者を相手にすると潜んでいた恐怖心がここぞと言わんばかりに姿を表してくる。

「それが出てきてしまうんですよ…どうしても恐怖心を消せなくて、ストライクを投げれるかどうかしか考えられなかったので、底なし沼にはまってしまった感じです」

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