【インタビュー】第8回 元中日ドラゴンズ・石川駿さん ②

元中日・石川駿さん 憧れの球団で「野球はおなかいっぱいやらせてもらった」ケガを負う度強くなり、満足して終えたプロ野球選手生活

中日ドラゴンズで内野手として6年間プレーした石川駿さん。現在は柔道整復師の国家資格取得を目指して専門学校に通う“学生”である傍ら、国士舘大学硬式野球部をはじめ、各所で野球の指導者としても活動している。

引退時「野球はもうお腹いっぱいです」と語った石川さんの野球人生とは―

第2回は、入団前からドラゴンズ一筋だった、石川さんのプロ野球現役時代に迫る。

>第1回はこちら

【取材/文 中嶋絵美(フリーアナウンサー/フリーライター)以下、敬称略】

「ドラゴンズに入団したい」憧れの存在を追って

幾度のケガを乗り越えた石川は、社会人野球JX-ENEOS(現ENEOS)2年目の2014年、中日ドラゴンズからドラフト4巡目で指名を受けた。

当時、ドラゴンズのGMが落合博満さんだったのですが、同じ右バッターで、あんなバッティングをされる方いないので、憧れの存在だったんです。一度色々な話をしてみたいと思っていました。」

ついに辿り着いたプロ野球の世界。念願叶ってドラゴンズのユニフォームに袖を通し、プロ1年目の春季キャンプは1軍でスタートした。

「レベルの違いやすごさを感じる、ということはなかったんですが、体力的に大丈夫かな?と思いました。練習、やってもやっても終わらないので。高校野球が1番きついと思っていたんですけど、ダントツでプロ野球でした。

ピッチャーと野手が合わせる連携プレーも、あんなピリピリした空気感の中でやったことはありません。」

「強くなって帰ろう-」リハビリ期間の考え方の変化

オープン戦でもスタメンに名を連ね、チームの新人選手で第1号のホームランを放つも、開幕前に腰痛で離脱。1ヶ月半のリハビリを経て復帰したが、復帰初日に受けた打球で左鎖骨周辺の上部肋軟骨を骨折し、1軍公式戦には出場できないまま1年目のシーズンを終えた。

「1番はじめにケガをした時に1軍のトレーニングコーチの方から、『ケガから帰ってきた時ってみんな必ず強くなっているから、リハビリもそういう気持ちでやりなさい』と言われて。

なので、ケガは多かったんですけど、学生の時みたいに“辛い”と感じることはあまりなかったです。“ケガする前よりも強くなって帰ろう”という気持ちが、毎回根底にあったので。復帰した時、自分がどれだけできているかなっていう楽しみもありました。」

ケガからの復帰後、強くなった自分に会うのが楽しみだった

生涯忘れることのない、憧れの人との夢のような時間

ケガからの復帰を目指していたある日、“憧れの人”との忘れられない時間を過ごしたことが、現役生活の中で1番心に残っているという。

「2軍の本体は遠征に行っていて、僕は残留練習をしていたのですが、落合さん(落合博満GM・当時)がいらっしゃっていて。“ここしかない!”と思って『スイング教えてください!』と話しかけました。

『振ってみろ』と言われて、落合さんと、GM付きの方と僕の3人で、大きな部屋に移動して。ひたすらバットを振り続けました。

途中、アドバイスや指導は1回もなく、開始から5.6時間が経過した頃だと思います、『良い』と一言。『今のでいいから、それを忘れるなよ』と言われて終わりました。最後の一振りの、何がどう良かったのかも、教えてもらっていないんですけど。

僕はどちらかというと不器用で、すぐにできないタイプなんですけど『そっちの方がいいんだよ。すぐできるやつは、すぐ忘れちゃうから』というのは言われました。」

落合氏との忘れられない思い出を語る

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