9月、都内で開催されたトークイベント「プロ野球温故知新」に元中日ドラゴンズの守護神・岩瀬仁紀さんが登場。チームのクローザーを告げられた日や2007年日本シリーズ完全試合リレーの裏側が語られた。 (イベント主催:「株式会社シャイニング」)
【トークショーMC/文 中嶋絵美(フリーアナウンサー/フリーライター)】
野球殿堂入り投手のプロ初登板は「緊張に負けた」
トークショーは、今年野球殿堂入りを果たしたことを祝うあたたかい拍手でスタート。 そんな岩瀬さんも、プロ初登板は「緊張に負けた」と振り返る。
「オープン戦では結果が出ていたが、開幕戦でいきなり3連打をくらって。自分が投げるとも思っていなかったので頭が真っ白になって、ブルペンの階段を上がっている頃には記憶がなくなっていました」
入団から5年ほどは中継ぎ。「中継ぎ時代はずっと“いつかは先発”という想いをもってプレーしていた」と明かす。
「2年目の最後にプロ野球生活でたった一度だけ先発をしました。7回を投げて、孝介(福留氏)のエラーで1点獲られました(笑)初先発・初完封を目指していたんですけど。
7回1失点で勝ち投手になって、自分では先発へのアピールができたかなと思っていたんですけど、3年目も普通に中継ぎやってましたね(笑)」

2004年からはメジャーリーグに移籍した大塚晶文氏に代わって、抑え投手に抜擢。
「落合(博満)さんが監督に就任して『補強をしないで10%の底上げで優勝する』と公言して。補強がない中、抑えは誰がやるんだ?となった時に、正直自分だと思いました。」
その後、抑え投手としての起用は落合氏から直接告げられたというが、「キャンプイン前日の全体ミーティング前にマネージャーから『今から監督が部屋に行く』と連絡があって。『岩瀬、抑え』そう言って去っていきました…
抑えと言われてからは“先発をやりたい”という考えはなくなりました。一番後ろを投げるピッチャーというのは、本当に重責。チームの屋台骨を背負うような。そこを自分が任されたので、もうそれを全うしようという気持ちになりました」
「最悪の場面での登板」-伝説の2007年日本シリーズ完全試合リレー
岩瀬さんをお招きしたからには、やはり外せないのが“2007年日本シリーズ完全試合リレー”の話題。
第5戦、先発の山井大介投手が完全試合なるか!?という場面での登板は「岩瀬さんが登「最悪の場面での登板ですよ」と振り返る。「8回から、山井が1人でも出したら行く、ということでそこに向けて準備はしていました。ただ、1人出したら…ということは、ある程度良くない場面で登板することになるので、山井のことを必死で応援していました(笑)」
実際に登板が告げられた時の心境は「次の日えらいことになるなぁ…と思いましたね。代えて負けたらドラゴンズは流れを失うので、恐らくこのシリーズ勝てないなと。山井が打たれてもそこまで流れを失うことはないのに、わざわざ自分に代えたということは、絶対に勝たなければいけないと、ものすごいプレッシャーを感じていました。

マウンドに上がるまでは『絶対に抑えよう』という気持ちでいたんですが、ベンチを一歩出た瞬間、山井コールが起きていて、球場がざわざわしていて。『山井に代わって岩瀬』のアナウンスと同時にどよめきが起きていましたね。あの球場の空気はちょっときつかったです。
ただ、マウンドに行ったら荒木(雅博氏)と井端(弘和氏)がいて『ここは当然岩瀬さんでしょ』という言葉をくれました。それで『自分が投げていいんだ』と思うことができましたね。最後のバッターをセカンドゴロに打ち取って試合が終わった瞬間の感情は『(優勝して)やったー』ではなく『よかったー』でした。
2007年オフにはFA権を取得するも、生涯ドラゴンズを貫いた岩瀬さん。
「メジャーリーグからも話が来ていたので聞いてみたいと思っていたんですが、2007年、「メジャーリーグからも話が来ていたので聞いてみたいと思っていたんですが、2007年、大変で。日本シリーズとオリンピック予選があって野球が終わったのが12月過ぎてからだったので、FAについて考える余裕がなかったんです。タイミング悪いな、と(笑)もう少し時間があれば、話は聞いてみたかった。ただ、出ることはなかったと思いますね。もともと地元でやりたいと思って、好きでドラゴンズに入ったので」
ドラゴンズ一筋の守護神が「プレーしてみたかった球団」と「同じチームでプレーしたかった人」とは!?
ここでカードを引いて書いてあるお題に答えるトークテーマカードタイムに。
まずお題は『野球人生最大のミス』。
2015年に肘をケガしたが、すぐに復帰しようと急いでしまい、翌年1年投げられなかった。今戻れるなら、この年はあきらめて翌年向けて切り替える。それまでケガをしたことがなくて、自分の中で焦りがありました。無理して投げてはいけないのだと、この時初めて知りました」
続くテーマは『プレーしてみたかった球団』。
「マリナーズですかね。日本では正直他にやりたい球団はないです!メジャーのパワーに対して自分がどう対応できるのかは興味がありました。ただ、海外での生活には全く興味がないし、ものすごく寂しがり屋なので、行くとした10人くらい知り合いを連れて行かないといけないので大変だと思います」

最後のテーマは『同じチームでプレーしたかった人』については「松井秀喜さん」と回答。「やっぱりチームにいてくれたら強いですよね。『あの頃のジャイアンツ打線に投げる自分たちと、ジャイアンツのピッチャー陣が他チームの打線に投げるのとじゃ差がありますよね』と、憲伸がよく言っていました(笑)1番から7番まで20本以上打つような打線でしたから」
最後に「現役を退いてもう6年経つが、それでもこんなにたくさんの方が集まってくれて嬉しい」と、ファンへの感謝の想いを伝えてトークイベントは終了。
その後は集まったファンとのサイン&2ショット写真の撮影会に進んだ。天気の優れない秋の夜だったが、あたたかい空気に包まれてイベントは幕を閉じた。
(おわり)











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