元横浜ベイスターズ・内藤雄太さん 少年時代に憧れたV戦士との師弟関係と2度の崖っぷちからの這い上がり
現在玩具メーカーの「カシマヤ製作所」に勤める内藤雄太さん。
かつて横浜ベイスターズで8年間プレーし、11年の開幕戦ではこの年MVPに輝いた浅尾拓也投手からサヨナラ安打を放つなど、ファンの記憶に刻む活躍を見せた。
13年に引退後はスポーツ用品店で勤務。16年からは現職に活躍の場を移し、玩具そして同社が日本総代理店を務める「Franklin」などの営業を担当している。
今回は内藤さんにプロ野球選手時代から現在までのお話を伺った。
(トップ写真:本人提供、取材 / 文:白石怜平)
少年時代から応援していた地元ベイスターズへ入団
内藤さんは八戸大学から05年大学生・社会人ドラフト3巡目で横浜(現:DeNA)ベイスターズに入団した。神奈川県横須賀市出身で、少年時代は横浜スタジアムに通ったほどのベイスターズファン。憧れたチームからの指名だった。
「指名された時は本当にベイスターズに入れるんだ!という気持ちが強かったです」
期待と夢を持ってプロの門を叩いた。しかし、最初のキャンプから壁にぶつかった。
「アマチュア時代はバッティングに自信を持っていましたが、正直守備には課題を感じていました。実際にプロに入って練習すると、ここまでできないのかと。その点ではまずいと感じていました」
1年目はプロでの生活に慣れる日々。野球漬けで体重も10kg以上落ちたという。
「体重が減ったことによって打球が飛ばなくなる。飛ばないから、自分で小細工しようとする悪循環にハマってしまいました。まだ体力もなかったですし、1年目が一番きつかったですね」
1年目は2試合の出場に終わり、2・3年目はファーム暮らしが続き一軍での出場はなかった。ただ、この3年間は自らの課題に向き合って一段一段登っていくプロセスの期間だった。
「自分はすごく体幹が弱かったので、体幹トレーニングを意識的にやるようにしていました。あとは、減った体重を戻すために食事もしっかり摂りました。2年目以降は体重が減らなくなってきたので、体が戻ってきた感覚がありました」
そして、技術面においては入団早々危機感を覚えた守備も猛特訓した。
「1年目の春季キャンプから全体練習終了後に特守で鍛えていただきました。それを続けていくうちに手応えを感じるようになりました。今ベイスターズで巡回コーチをされている青山道雄さんの下でやらせてもらって成長できました」
その努力が実り、一軍に昇格後は本職の外野以外にも三塁・一塁も守るなどユーティリティプレイヤーとしてチームの戦力となった。