間近で見ていた石井浩郎さんの姿勢
平江さんは、1日でも早く一軍へ上がろうと日々練習に励んでいた。そこでは、ある先輩の姿を追いかけていたという。
「同期入団の石井浩郎さんです。石井さんは1年目に病気を患ったり、怪我をされてファーム生活を送られていた時期があったのですが、その時は多くの時間を一緒に過ごさせて頂きました。石井さんを間近で見て、僕はその背中を追いかけていましたね。」
夜間練習まで行動を共にし、石井さんの練習量そして24時間野球と向き合っている姿勢に驚かされた。
「誰よりも練習されるし、誰よりも野球のことを考えてる。こういう方が一軍で活躍するんだなと。僕も自分で練習してると思ってたんですけども、比較したら量のレベルが違いました。
ヘトヘトになるまで夜間練習をやり、普通の選手はみんな寮に戻るのですが、石井さんはその後にも真っ暗な藤井寺球場で黙々とバットを振っていましたね。」
石井さんは現役時代、入団から5年連続20本以上をマークし、94年には打率.316・33本塁打・111打点で打点王のタイトルを獲得するなど、プロ野球の世界でも活躍した。
6年目で一軍デビュー。唯一の打席で感じた壁
プロ6年目の95年、ついに一軍の舞台に立つことになった。9月25日、千葉マリンスタジアム(現:ZOZOマリンスタジアム)で行われたロッテ戦。9回表に大村直之選手の代打で出場した。
「翌年を見越して、若手を見ようということで一軍に上げていただきました。なので、正直あまり実感もなかったのですが、実際に1打席立った時は、夢心地で何をどうしていいか分からなかったですね。」
相手は左のリリーフエースである河本育之投手。第一線で活躍する投手の球を目の当たりにし、またもや衝撃を受けた。
「プロに入ったときにすごいなと思ったのを、さらに6年かけて一軍に上がって、その一流ピッチャーを見たときにさらに衝撃を受けた。プロで6年やってまだ自分はここかと。感じたことのないような速さで、正直これでは厳しいなと思いましたね。」
平江さんにとって、これが一軍で唯一の出場機会になった。翌年もファームで過ごし、このオフに戦力外通告を受けた。しかし、平江さんの炎は燃え尽きていなかった。