「アメリカで生活がしたい」からの「いずれはスポーツ界に」元近鉄・平江厳さん 引退後の目標を叶え続けたストーリーと現役選手へのメッセージ
元近鉄バファローズの外野手で現在はアスリートのマネジメントやスポーツマーケティング事業などを行う「スポーツビズ」に勤める平江厳さん。
7年間で一軍出場1試合に終わったが、完全燃焼するため単身アメリカに渡りメジャーに挑戦した。野球人としての夢は叶わなかったが、引退後に湧いた2つのなりたい姿は次々と叶えていった。
全3回の2回目は引退から現在にかけてを振り返るとともに、セカンドキャリアに向けた現役選手へのメッセージを贈った。
(取材 / 文:白石怜平)
アメリカで湧いてきた第二の目標と迷いの時期
メジャー挑戦を終え、10歳からプレーしてきた野球生活にピリオドを打った平江さんには新たな目標が芽生えていた。
「アメリカで経験したことが第二の夢になってきました。僕みたいなどこの馬の骨ともわからない日本人を受け入れてチャンスをくれた。そんな国アメリカに住みたい・仕事がしたい。
ただ、英語が全く話せないのでどうすればいいのか。とりあえず英語の勉強をするためにハワイへと移住しました。」
ハワイの語学学校に通い、英語を学んだ。ただ、この間はビザの関係で働くことはできず、現役時代の貯金を切り崩して生活していた。それでもアメリカで生活するという目標を達成するために、勉強を続けた。
1年間学校に通い、日常会話レベルで英語を話せるようになり日本へ帰国した。ただ、次のステップでは壁にぶち当たり、そもそもアメリカにどう拠点を置けばいいのかを模索している段階だった。平江さんも、
「とても人生に迷っていた時期。何をしていいのかわからない時期でした。」
と渋い表情で振り返った。この間はアルバイトをしながら国内の野球教室に出向き、子どもたちに野球の指導をしていた。
野球教室を通じた出会いから実現へ
悶々とした日々を過ごしていた中、平江さんに目標が叶う転機が訪れた。それはとある野球教室に行った時のことだった。
「主催者の一人がある製造業の社長さんだったのですが、野球教室が終わった後にメンバーで食事に行った際、『アメリカで仕事をするのが夢なんですよ』と話をしたんです。
そしたら、『自分の会社がノースカロライナ州に子会社があるからそこでどう?平江君なら戦力になれる』と言っていただいて。それで会社のことを色々知ってお世話になりますということになりました。」
平江さんが入社したのは医療器具や工学機器に内蔵されている部品を製造するメーカー。もちろん知識も経験もゼロだったため、まず拠点のある日本で1年間修行を積み、子会社のあるノースカロライナ州へと渡った。
ここでついにアメリカで生活する目標が叶ったのだ。日本人が一人もいないところで、工場長として6年間務めた。その後は家庭の事情などから一度日本に戻り、東京の営業所で勤務を続けた。