今江敏晃さんが「プロ野球温故知新」に登壇 選手そして監督として礎を築いたロッテ時代の恩師を語る

8月、都内でトークショー「プロ野球温故知新」が開催された。今回は楽天の前監督である今江敏晃さんをゲストに招き、ここでしか聞けない話が数多く明かされた。

(写真 / 文:白石怜平)

「野球はやり切った」から引き続きユニフォームを着た訳は?

昨季は楽天の監督だった今江さんは、初めてユニフォームを着ないシーズンに。幼少期から野球漬けの日々を送っていたことから、これまで味わったことのない感覚を明かした。

「僕、幼稚園の年中・年長からずっと少年野球チームに入っていて、42歳の年に初めて野球チームに入ってない年になるので変な感じします(笑) 

特に2月1日はだいたい沖縄か鹿児島にいたのですが、東京にいるのがすごく違和感ありました。でもテレビでキャンプ情報とかやってると自然と見ていましたね」

そんな今江さんは、選手としてはロッテ・楽天で18年間プレー。2019年の引退後に即楽天のコーチに就任し、昨季監督を務めた。現役を終えてからの青写真として、指導者は頭にあったのかを問われると、まずは現役時代の心境から語った。

「実は僕思っていなかったんですよ。現役中は若い頃、早めにレギュラーとして使ってもらったんですが、 その時は本当に楽しかったんですよ。ボビー・バレンタイン監督の下でやっていて、『野球を楽しもう!』って言ってくれていたので。

ただ、レギュラーを獲った以上はポジションを守らなければならない立場だったので、その重圧を自分自身で持っていました。

そこから“もっと上に上に”って思えば思うほどしんどくなっていって、『 野球ってこんなしんどかったっけ?』って考えてしまうようになったんですよね」

責任感と重圧から野球を好きでいることに疑問を抱いていたという

そんなプレッシャーや葛藤と戦いながらも、成績を残し続けた今江さん。

「やり切った感があった」としながらも、2019年限りで引退後すぐに指導者へ転身した決め手を続けて語った。

「ただ、ありがたいことにコーチの話をいただいた時は迷いました。でも、自分をここまで育ててくれた野球界への恩返しもしたいと考えましたし、後は引退後何をしようというのもありますよね。

野球選手ってやめた後、マジ大変なんですよ。僕は辞めた後に“こういうのをやりたい”というのがあれば良かったんですけど、それがなかった。

僕が思い描いてた引退後の生活というのは、ゴルフしたりして野球の解説をしてとか、なんとなく思っていたんですよ。 でもやはりいろんな人に話を聞くと『現実はそんなに甘くないよ』と。それだったら声をかけてくれたコーチという道に挑戦しようと決めました」

指導者へ転身した理由がここで明かされた

影響を受けた監督に迷わずあの名将を挙げる

その後楽天では主に二軍で育成や打撃といった部門を歴任し、23年にはシーズン途中から一軍の打撃コーチを担当した。

そして昨年は一軍の監督として指揮を執り、球団初の交流戦優勝に導くなど手腕を発揮した。現役時代に仕えた中で、影響を受けたという指揮官を迷わず一人挙げた。

「ボビー・バレンタインですよね。ボビーが僕を使ってくれたから、今の自分があると思っています。20年ほど前ですが、今の時代のような野球でしたね。監督と選手の距離が近くてコミュニケーションを取ってくれる方で。

僕はこれまで監督とあまり会話したことがなかったのですが、それが急にお父さんみたいな感じでいつも話かけてくれて、常にポジティブなこと言ってくれました。

僕も若くて出始めだったので、すごく助かったのを覚えています」

バレンタイン監督と言えば、積極的なファンサービスを率先して行い、ロッテの人気獲得に大きく貢献した一人。今江さんも驚いたというエピソードを披露してくれた。

「試合前のシートノックが終わって、あと45分で始まるくらいの時にタキシード着て踊ってるんですよ。 球場で監督が。すごくないですか?(笑)。

2005年ごろからロッテも人気がすごく出たんです。 確かに優勝したのもありますが、やっぱりボビー・バレンタインが色々と考えて、選手だけじゃなくて自分も参加していた。

僕も監督をやりましたけど、あれはなかなかできないですよ。すごい勇気だなと改めて思います」

バレンタイン監督時代の話で盛り上がった

どんな時でも付き添ってくれた“鬼軍曹”の存在

また、今江さんがプロで長く活躍するための礎を築いた恩人がもう一人いた。それは、参加者からの質問をきっかけに展開された。

「高橋慶彦さん、めちゃめちゃ厳しかったです。 慶彦さんは05年の時は打撃コーチではなかったのですが、僕と西岡(剛)がレギュラーを掴もうとしている年でもあって、試合後に毎日“強制的”に打撃練習させられていました(笑)。 

打撃コーチじゃないのに 打撃練習をずっとやらされるという。 それも毎日です。 遠征先でも素振りをしてから食事に行っていました。

どんなに夜遅くに帰ってきても、『ちゃんとやるぞ』って付き添ってくれました。その当時はしんどいなと思ってましたけど、コーチもやった今となると、あれだけ選手に付き添って情熱持って接してくれたんだなと。

最後まで付き添うってとても難しいことなんですよ。若い選手だとまだヤンチャな部分もあって頭に来ることもあったでしょうし。それでも付き添ってくれた慶彦さんには本当に感謝してます」

その他にもPL学園時代や楽天監督退任の経緯など、約一時間にわたって盛りだくさんの内容に。トークショーを終えるとサイン会へと移った。

ロッテそして楽天で背負った背番号「8」や、PL学園時代のユニフォームも持参するファンもいるなど盛況を見せ、その人気は健在だった。

トークショー後のサイン会も盛況だった

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