現在台湾の社会人野球チーム「覇龍隊」でコーチを務めている金丸将也さん。
広島に3年間在籍し、2年目の2012年にはファームで37試合で防御率1.17という成績を残しながらも一軍マウンドには届かず退団となった。
以降は社会人生活を続けていた中ついに22年、あるオファーが金丸さんの元へと届いた。
「お金をもらえるありがたみを知った」引退後は様々な職に
13年オフに広島を退団直後に故郷の宮崎へと戻ったのだが、先が見えず真っ暗な時を過ごした。
「目標がなくなったので、”次はこうしよう”という意欲が湧かなかったんです。ただ、働かないといけないので、漠然と色々なところで仕事をしていましたね」
プロ野球選手のセカンドキャリアについて、ここまで多くのOBに登場してもらった。
「目の前で突きつけられてどうすればいいか分からなかった」「現役中から考えていた」など様々あった中で、金丸さんにおいても、引退前後に感じていた将来への考えについて訊いてみた。
「選手会のアンケートとかあるんですけど、すっとファームにいたのもあって、『将来に不安がある』に〇をつけていました。
8割以上の選手がその回答が多かったみたいで、考えることは一緒なんだなと。ただ、実際に『明日から来なくていいですよ』と言われた時に、いやどうしようとなるんですよね」
ここまで野球一筋の金丸さん。己の左腕一本で稼いできたが、野球とは違う新たな職に就くことで気づいたことがあった。
「社会人上がりではありますが、どういった流れでお金が発生するのかが疎かったんです。サンシャインズに入るまでは色々な仕事をやりました。
アルバイトや派遣もしましたし、車のディーラーでは正社員として営業もやって、お金をもらえるありがたみを勉強させてもらいました」
「5回断りました」地元の新球団監督就任の決め手は?
広島のユニフォームを脱いでから約9年が経った22年、再び野球への道へと戻るきっかけが突如訪れる。
翌23年から、九州アジアリーグへの加盟が承認された地元の新球団「宮崎サンシャインズ」の監督就任オファーだった。ただ、当初は前向きには捉えられなかったという
「電話がきたときも、フォークリフトを運転していました。高校野球で1日だけ教えに行くことはしていましたが、このオファーは監督なんですよ。
僕は投手しか教えたことがなかったですし、野手のことや戦略・戦術など絡むのでそれはできないと、5回断りました(笑)」
なぜ、金丸さんにオファーが来たのか。あるタイミングで明確に決め手があったのではと語る。
「球団代表から連絡をいただいたのですが、以前から面識があるとかではなかったんです。高校野球の県大会で隣に座られていて、僕はその方が誰かは当時存じ上げなかったけど、相手は僕を知っている。そんなシチュエーションでした。
その時に観ながら解説をしていたのですが、僕は『こうすればもっと抑えられる可能性があります』とポジティブに話していたんですよ。そういった部分を評価してくれたのではないかと思います」
ただ、上述の通り5回断っており就任することは考えていなかった。それでも球団からの熱意に心が揺らぎ、県内にいるプロ野球OBに相談したことが決め手になった。
「『こんないい機会ないんだからやりなさい!俺たちもサポートするから』と言ってくれたので、引き受けることにしました」
1球で目に留まった投手をエースへ
監督としてグラウンドへと戻ってきた金丸さん。当初は苦労が先行したと語る。
「すごくプライドの高い子たちが多いので、監督としてどれだけ距離感をおけばいいのか。バッテリーメインで『こういうやり方・考えがあるよ』と言いましたが、なかなか聞いてもらえませんでしたね。プライドが邪魔しているになぁと思っていました」
現在ではプロ野球選手はYouTubeを見てフォームや練習方法を習得する。
一方、指導者は時代に適応した指導方法が求められており、監督・コーチは引き出し増やすことやコミュニケーション方法を常に考える必要がある。金丸さんも若い選手たちを見てそのように感じていたという。
「ですので、分からないことは何度も柔らかく噛み砕いて教えないといけない。自分たちの意図にどれだけ気づいてくれるかなので、粘り強くコミュニケーションを取っていました。
走るの一つもなぜ走るのか、腹筋もなぜ必要なのかを根拠を説明しながらやらせていました。走るのもアメリカンノックで球を追いかける面白さを混ぜながらやっていました。
自分で考えろという時代ではないので、どうやったら興味を持ってもらえるか。指導の中でそこを重要視していましたね」
その中でも光る素材に目が留まった。金丸さん自身が獲得し、育てた選手がいる。ある選手とのやりとりを明かしてくれた。
「ある若い投手がいるのですが、僕が見た時に1球だけインコースにすごく伸びのある球を投げたんです。それを見て獲ったんです。135km/h出ていたのですが、『この選手をエースにしよう』と考えました。
彼をモノにすれば周りの選手も付いてきてくれるだろうと。オフの間も練習に付き合って、感情移入しすぎないように『これは〇〇のためにやるんだよ』と何度も伝えました。それで今エースになってくれました」
このように一人ひとりと向き合い、上達に向けて伴走した。指導者としての自身の考え方が培われていった。
「YouTubeで見てやってもいいと思います。ただ、それを試合でどう活かすかが大事なので、それをどう試合に向けて知識をコントロールできるようにするか。それが僕の役目だと今も考えています。
今エースとは言いましたが、彼含め選手たちの目指すところはNPB。そこまではまだまだ足りていないので、明確に課題を伝えた上で今も連絡を取り合っています」
選手を育て、チームを勝利に導く役割を担った金丸さんは、昨年もうひとつ自身にとって今後の指導者生活にもプラスになる出来事があった。※つづく
(取材 / 文:白石怜平、表紙写真:本人提供)
この記事へのコメントはありません。