「チームをまとめられるのは仰木さんしかいない」川越英隆さん 球団合併からのリスタートと名将との思い出
昨シーズンまでロッテのコーチを務め、現在は横浜市にある「tsuzuki BASE」でコーチをしている川越英隆さん。
99年に当時のオリックス・ブルーウェーブに入団し、ルーキーイヤーから11勝を挙げ活躍。01年から約3年間白星から遠ざかり自身15連敗を喫するも、04年に8勝を挙げ長いトンネルから抜け出した。
この年に球界再編問題が起こり、05年からは「オリックス・バファローズ」として新たなスタートを切った。
第2回は合併後の05年からオリックス退団までを振り返った。
(取材 / 文:白石怜平)
05年、オリックス・バファローズ初代選手会長に
川越さんは新球団の初代選手会長として、前年までは対戦相手として戦っていた両チームをまとめる立場になった。
04年オフ、慌ただしい日々は続いた。当時はまだ新球団としてのユニフォームがないため、合流後はそれぞれの所属元のユニフォームで一緒に練習をしていた。
「選手たちはしっかり野球をやるだけなんですけれども、違和感もありましたし、なかなか気持ちの整理ができずに秋季練習していましたね」
近鉄からは26人の選手が合流。チームメイトとして一緒に戦う仲間となった。選手会長として、自ら動いていった。
「近鉄から来た選手は内面的な部分はまだわからなかったので、積極的にコミニケーションを取るようにはしました。『これから一緒に頑張っていきましょう』ということで、それぞれが話をしてくれました」
背番号を「20」から「11」に変更して臨んだシーズン、開幕投手を務めるなどグラウンド内でもチームを引っ張った。
ローテーションの一角として1年間ほぼフル回転。6勝をマークし規定投球回数に到達した。新チームの中心選手として、前年とはまた違った役割で奮闘した日々だった。