11年、現役を引退しコーチ就任へ
そして11年が川越さんにとって現役ラストイヤーになる。前年を上回る18試合に登板し防御率1.37をマークするも、チームは最下位に。球団から翌年の選手契約は結ばないとともに、コーチ就任を打診された。
そして11月下旬、正式に現役引退を表明した。
「コーチになるか、もし現役をやりたかったら他を探すかの二択でした。ただ、当時38歳で年齢的にも難しいと感じていましたし、コーチもタイミングが合わないとそうそうなれるものではない。
いずれ指導者になりたい気持ちもありましたし、すごくありがたいお話だと思いましたのでコーチのお話を受けました」
小谷さんから学んだコーチングのノウハウ
12年から最初の2年間はファームを担当した。当初は難しいと感じながらも、あの名伯楽からコーチングを学んでいったという。
「13年に小谷(正勝)さんが来られたのですが、僕もいろいろ教わりました。小谷さんはすぐ手をつけず、観察する時期がすごく長いんです。それで相手の性格によってアプローチの仕方や伝え方など、個性に合わせて変えていました。
人それぞれ伝わり方が違いますし、同じこと言っても伝わり方が全く違う方向に行くこともあったので、そこはとても勉強になりましたね」
ロッテでのコーチ生活では、14年と19年〜21年の計4年は一軍コーチも務めた。ファームとは違う役割について、このように語った。
「一軍はもう勝つか負けるかです。どんどん状態のいい選手を使うので、投手のやりくりに尽きました」
また、川越さんはロッテの若手投手陣を多く育ててきた。佐々木朗希投手をはじめ、すでに今シーズン2桁勝利を挙げチームの躍進に貢献している種市篤暉投手・21年に10勝を挙げた小島和哉投手などダイヤの原石だった素材を磨き上げてきた。
小谷正勝さんからの教えが礎になっている
佐々木投手は1年目は一軍に帯同しながらじっくり体づくりに専念させるなど、育成プランについては頻繁に報道され続けてきたが、特に種市投手についての印象が強く残っていた。
「種市投手は最初に見た時点で、ものすごくいい素材だと感じましたね。『このピッチャーを一軍でローテーションに入れるぐらい育てないと自分の責任』と思ったくらい。高卒でまだ最初は細かったし、トミー・ジョン手術もしたのですが、今の活躍は不思議ではないですしまだまだ勝てるピッチャーだと思います」