清原和博さん 講演会「野球から学んだ奉仕の心」学生時代に培ったバッティングの礎とは?

2月20日、埼玉県さいたま市で清原和博さんの講演会が行われた。当時の栄光を知る聴講者の方々に、自らが野球を通じて培った数々の経験を語った。

(写真 / 文:白石怜平)

バッティングの原点は”考えること”と”センター返し”

今回行われた講演会は、地元のロータリークラブ「国際ロータリー第2770地区 第3・第4グループ」が主催する「Intercity Meeting」の中で開催された。

テーマは「野球から学んだ奉仕の心」。20代のころから親交のある、飯島智則さん(日刊スポーツ編集委員)とともに、これまでの野球人生を振り返った。

清原さんが野球と出会ったのは小学3年生の時。電信柱に50m走と遠投測定のチラシが掲示されていたのを見たことが始まりだった。

野球人生を振り返った清原さん

岸和田市で一番を自負していた少年は、その通り岸和田で一位の記録をマークした。そこから岸和田リトルリーグに誘われて入団が決まった。

そこでコーチからバッティングにおいて、「とにかくセンターに打ちなさい。どうやったらセンターに打球が飛ぶかを考えなさい」と教え込まれたという。

当時は厳しさが残っていた時代。少年時代のあるエピソードを明かした。

「レフトにホームランを打っても、『なぜ、センターに打てなかったんだ』と、怖いコーチに叱られて途中交代になったこともありました」

どうすればセンターに打てるのか。清原少年は書店に行き、プロ野球選手の連続写真を見ながら自分で研究を重ね、”考える”習慣をつけていった。

「今振り返ると、”ああしろ”・”こうしろ”と言われなかったことが、自分で考えることにつながって、バッティングをつくり上げることができたと思います」

バッティングの原点は少年時代にあった

清原さんのバッティングといえば飛距離だけでなく、それを広角に打ち分ける技術でもファンを魅了してきた。巨人時代には、右打者でありながら東京ドームのライトスタンドの看板に当てる本塁打を放ったこともある。

ただ、それでも清原さんの中での意識は周囲のイメージとは異なるものだった。

「小学生のときから”センター返し”の意識でした。途中レフトに引っ張った方がいいのかなど考えたりもしましたが、やはり自分の行き着くところはセンターバックスクリーンに打つこと。

その中でタイミングが早ければレフトに行くし、遅ければライトに行く。僕はよく右方向への打球が特徴だと言われるのですが、ライトへ狙ったHRは1本もありません」

己を奮い立たせた3年春での対戦

さらに実力をつけた清原少年は1983年に地元大阪の名門・PL学園に入学。その輝かしい実績のみならず、寮生活など数々のエピソードが本人はもとよりOBから数多く語られているが、ここでも最初に出たのは厳しかった思い出だった。

「とにかく厳しかったですね。炊事・洗濯等もそうですし、上下関係の厳しさなどもあった中で、ホームシックになりました。テレビも新聞も見れなかったですし、外出日も3ヶ月に1回だったので世の中で何が起きているかわからなかったですね」

話題はPL学園時代に

ただ、清原さんは1年生の夏からスターダムの階段を一気に駆け上がることになる。高校時代の主戦場となるのが甲子園だった。

1年夏から3年夏までの5回全てで出場。その間PL学園を全国優勝2回・準優勝2回・ベスト4に1回へ導き、桑田真澄・現巨人二軍監督との”KKコンビ”は社会現象を巻き起こした。

誰もが羨む栄光に満ち溢れた高校野球生活。しかし、ここで挙げたのは勝った時のことではなく負けた時のことだった。

「唯一決勝に進めなかった高3の春、相手が高知県の伊野商業。相手投手は後にライオンズで一緒になる渡辺智男くん。3打席3三振でファールチップもなし。もう心の底から折れましてね、号泣したのを覚えてます」

伊野商業戦の悔しさがその後のドラマにつながった

渡辺投手は全球ストレート勝負だった。西武入団後、本人に聞いた際には「お前のときだけは思い切り腕を振った」と言われたという。

夏はこの悔しさを晴らす。そのためにあることを始めた。

「まだ肌寒い時期だったんですけども、寮に帰ったら体から湯気が出るくらい素振りしました。そこから、夏の甲子園決勝戦まで毎日300スイングすることを自分で決めて一日も欠かさず続けました」

その努力は結果へと表れた。高校最後の大会となる85年の夏の甲子園、決勝の宇部商業戦で1試合2本塁打を放ち、朝日放送・植草貞夫アナウンサーによる「甲子園は清原のためにあるのか!」の名実況を生んだ。

1大会での当時新記録となる5本塁打をマークし、PL学園を2年ぶりの全国制覇に導いた。ここで飯島さんは、素振りについてさらに深堀するとこう答えた。

「バッティング練習で一番大変なのは素振りだと思うんです。そして一番大切なのも素振り。自分も今まで多くの大打者の話を聞いたりしましたが、みんな素振りは基本だとおっしゃっています。ボールを打つと気持ち良かったりしますが、それがないので一番しんどいんですよね」

飯島智則さん(写真左)とともに、講演の内容が広がっていく

センター返しそして素振りというバッティングの基礎を、地道に積み重ねてきた清原さん。甲子園での活躍を引っ提げ、ついにあの運命のドラフトの話へと入っていく。

つづく

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