はじめまして、吉田 好太です
アスリートは現役生活を引退した後、どのような生活を送っているのでしょうか?監督やコーチなどの指導者として競技に関わり続けている人もいれば、まったく別の世界で生きている人もいます。引退した元アスリートたちの今を伝えるコーナーをスタートします。
第1回は、この「MOOSE・SPORTS」を運営する株式会社与志田の代表取締役、吉田好太(45)が自己紹介を兼ねて登場します。
新しい会社、新しいウェブページにかける思いを語りました。
はじめまして。吉田好太(よしだ こうた) です。4月から「MOOSE・SPORTS」を始めました。
主な業務は2つ。
1つはアスリートに関わる仕事のマネジメント・キャスティングです。企業や自治体が、元プロ野球選手たちを野球教室や講演会に呼びたいと考えても、どこに依頼したらいいのか分からないことが多いと聞きます。
そんなとき、MOOSE・SPORTSに連絡してくれれば、橋渡しをします。すでに協力していただいている約100人の元アスリートはもちろん、それ以外の方々でもキャスティングに動きます。
もう1つは、スポーツサイトの運営です。協力アスリートの情報だけでなく、スポーツの情報や、スポーツに関わるコラムを掲載していきます。こちらも、ぜひ、よろしくお願いします。
最初のトライアウト合格者
私も元アスリートです。
神奈川、桐蔭学園で選抜甲子園に2度出場し卒業後は桐蔭学園(3年時は主将)としては異例の米国オークランドアスレチックスとマイナー契約し、その後1998年ドラフト8位で近鉄バファローズに入団し、3年間プレーしました。戦力外通告を受けた後、トライアウトを経て横浜ベイスターズに入りました。
トライアウトはこの年から始まったので、最初のトライアウト合格者です。
「正直、トライアウトを受けるつもりではなかったが当時の二軍打撃コーチの故・鈴木貴久さんから絶対に受けろ」と言葉を受け参加を決意。
鈴木さんからの言葉はいまだに感謝しています。
しかし、ベイスターズからも1年で戦力外通告を受けました。「もう1年チャンスが欲しい」とは思いましたが、これはもう仕方がありません。
再びトライアウトも考えましたが、2年連続で戦力外通告を受けたので、もう潮時かと思って、あきらめました。
プロ生活は4年間。1軍の試合に出場したのは1試合だけでした。
イチローさんとのプレー
ただ、この1試合は忘れられません。イチローさんが日本でプレーをした最後の年だったのです。
2000年8月19日オリックス戦(神戸)の8回に代走で出場しました。
二塁ランナーで、同い年の前田忠節選手がライトのイチローさんの前へヒットを打ちました。走塁が取り柄の私としてはいいスタートが切れたので、ホームへ行けると思ったのですが、三塁コーチのに真喜志康永コーチに止められました。
「これでストップか…」と思ったら、イチローさんからものすごいボールがキャッチャーへ投げられました。ホームへ突っ込んでいたら間違いなくアウトだったでしょうね。
イチローさんと同じグラウンドに立ったことは、今でも私の誇りです。
まるで実績を残せなかった私ですが、今も時々サインを求められます。ルーキーカードを出されたときには感激しましたね。私のグッズと言えば、これしかありませんから。あらためて、ファンってありがたいなと思います。
だから、私のように実績を残せなかった元アスリートのことでも、いま何をしているか気にかけてくれているファンの方がいると思うんです。
このコーナーは、元アスリートとファンが交流する舞台になってくれればいいなと思っています。
様々な仕事を経験して・・
私は現役を引退してから、いくつかの職業を経験しました。
最初は不動産会社に勤務しました。お客様に物件を紹介する営業です。
紹介して、気に入ってもらえれば案内する。野球と同じように、挨拶、ハキハキした声で話す、嘘をつかないといったことを守りました。結構売り上げはあったんですよ。
3年間勤め次は家業の蕎麦屋です。
私の実家は東京都目黒区で蕎麦屋を営んでいたので、現役時代から「ゆくゆくは蕎麦屋を継ぐことになるのかな」という思いはありました。
父とともに蕎麦を打ち、料理を作り、ときには接客もしました。たくさんのお客様に来ていただける人気店だったので、充実した日々でした。
ただ、両親が高齢になるにつれて人手が足りなくなってきたのです。蕎麦を打つ職人を募集したのですが、応募がなくて、結局もう立ちゆかないとなって2017年に閉店しました。
やっぱり野球界に戻りたい・・
家業の閉店を機に「野球界に戻りたい」と思い、転職サイトを見ていました。
すると「日本プロ野球OBクラブ」が職員を募集していたのです。誰かに橋渡しを頼むなどは一切せず、一般応募して、何度か面接を受けて合格しました。
OBクラブでは、野球教室や講演会、ファン交流イベント、YouTubeで番組を作ったり、オンラインでのサイン会など、さまざまな活動をしました。
その中で、企業や自治体などの依頼に応じて、選手をマネジメント・キャスティングする仕事も経験しました。この経験が、新しい仕事につながっています。
仕事内容だけでなく、プロ野球OBや、小中学生の野球に関わる方々とお付き合いするうちに、多くの方々と会い、接することが「楽しい」と感じるようになってきました。正直「人と接するのが得意ではない」と思っていた自分の可能性を広げてくれた「OBクラブへは感謝している。」
これからの目標は、さまざまな企業や自治体とアスリートをつなぐことで、アスリートの活躍の場を広げるとともに、経験者としてアスリートの引退後のセカンドキャリアのサポート、スポーツの魅力を多くの方々に伝えていきたいです。
皆様、これからよろしくお願いします。
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