「僕のキャリアにすごく影響を与えてくれた方でした」元日本ハム・嶋田信敏さん 恩人・大島康徳さんと過ごした思い出の日々
かつて日本ハムファイターズの外野手・コーチとして計22年もの間活躍した嶋田信敏さん。
プロの世界で生き残れたのは多くの先輩方に恵まれた縁もあった。そして、嶋田さんの野球人生で欠かすことのできない恩人がいる。
その方が故・大島康徳さん。現役時代に大島さんから一軍で活躍する技を学び、共にスタメンも張った。そして監督就任時には直々にオファーを受け、コーチとして再びファイターズのユニフォームを着て共闘した。
嶋田さんのコラムは最終回。最後は、大島さんとの多くの思い出を振り返った。
(取材 / 文:白石怜平)
自ら距離を縮め、やがて家族ぐるみの関わりに
嶋田さんは日本ハム時代、柏原純一さんや田村藤夫さん・猿渡寛茂さんら先輩との出会いが野球人としてのキャリアをより深めてきた。
その中でも最も深いエピソードがあるのが大島康徳さん。88年に中日から移籍後に親交を深め、生前は家族ぐるみで付き合いがあった。
中日の4番として本塁打王の獲得経験があり、後に名球会にも入った大打者。当時一軍に定着しつつあった嶋田さんは、ファーム時代に行っていた時のように大先輩の一挙手一投足を早くから追いかけた。
「大島さんとは本当に仲良くさせてもらったね。最初はもちろん近寄り難い雰囲気があったんだけども、『どう試合に臨んでいくんだろう、どう準備するんだろう』というのを見ていた。
あとは、自分から距離を縮めていきましたよ。待っていてもダメだからね。昔は合同自主トレだったので、ランニングしていて何周か追い越した時に『お先にすみません!』とか言うと『うるせぇ!』って(笑)」
大島さんから学んだ”癖の見つけ方”
大島さんから学んだことがプレーで大きく役に立ったことがあったという。まだレギュラーに定着する前、ベンチで近くに座りながらあることを吸収していった。
「大島さんって癖を見抜くのが抜群に上手かった。28歳か29歳の時にいつもベンチでそばに座っててびっくりしたことがあって。ある試合で相手投手が投球練習をしていて、偶然その時に捕手がサインを出して投球練習していたんです。
それを見てた大島さんが『あれはカーブ、次はフォークだ』って言って全部当てた。これはすごいなと思って『どこで分かるんですか?』って聞いて見つけ方をいろいろ教えてくれたんです」
相手投手が投げる球種が事前に分かれば、打席でアプローチがしやすくなる。ヒットの確率を上げるためにベンチでひたすら観察した。
「ただ、大島さん曰く『分かりすぎるとボール球にも手を出しやすくなるから、そこだけは注意した方がいいよ』っていう話は聞いたよね」
プロでタイトルを獲るほどの打者から受けた金言。打席に入るとより近くで見る分、ベンチで見ていた時以上に分かったのだという。自身が実際に癖を見つけた時のエピソードを明かしてくれた。
「当時ロッテの前田幸長投手。彼の癖が100%分かったんだよね。確か17打数9安打くらい打っていて、本塁打も2本くらいかな。大島さんが言ってた通りボール球に手を出しちゃって三振した時も球種は読みと合っていましたから。ただ翌年にその癖は消えていましたね(笑)」
癖を見つけ打席に活かすこと、これも難しい技術であった。誰でも実践できることではないことを感じていた。
「若手の右打者で左投手の際に出るかもしれない選手に、ある左投手の癖を教えても『いや、分からないです…』と。癖って自力で見つけないと打席で活かすのは難しいんだなとその時感じました」
大島さんから受けたアドバイスを活かし、翌年からレギュラーに定着。90年、91年にセンターで100試合以上に出場し、大島さんとともにスタメンでプレーする機会に恵まれた。
「僕のキャリアにすごく影響を与えてくれた方でした。まぁ守備では何一つ参考になるものはなかったけど(笑)」
とジョークを交えながら現役時代を振り返った。
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