【インタビュー】第10回 元日本ハム・嶋田信敏さん ④

大島さんが交わした約束のコーチ就任

94年、同じ年に現役を引退してから5年後に師弟関係が復活することに。当時嶋田さんはソニー生命で営業マンとして活躍しており、勤めていた支社に突然1本の電話がかかってきた。

「99年の秋に『大島さんって方からお電話です』ということで代わったら『何気取ってんだよ!』って(笑)。その時点で日本ハムの監督就任が決まってたんで、おめでとうございますと言ったら『その件で電話したんだけどさ、来年から一緒にやるぞ。少し考えさせてくれとか言ったらどうなるか分かってるよな!』って”脅された”んです(笑)」

数日後に球団から連絡を受け、そこで快諾の返事を伝えた。ソニー生命にも相談した際も「それは行ってきてください」と快く送り出してくれた。こうして尊敬する大先輩と再び同じユニフォームに袖を通すことになった。

次は一軍の外野守備走塁コーチとして復帰した。(本人提供)

実は2度目のコーチ就任について、大島さんが亡くなった後に妻の奈保美さんと話す機会があった。

「奥様と話していた時に、『なんで僕をコーチで呼んだんですかね』って言ったら、『ノブさん覚えてない?一緒に食事した時にパパが”もし俺が監督になったら一軍のコーチに呼ぶからな”って約束したんだって』それ聞いたらまたグッと来ちゃって。本当にありがたいですよね」

監督時代にも見せた熱血漢

第二次コーチ時代は一軍の外野守備走塁コーチを担当。監督の良き理解者の一人としてベンチで常に隣でサポートした。

大島監督の印象でファンの方含め思い起こすのが”熱血漢”。勝利に妥協せず、時に審判や相手チームにも自ら向かっていく姿勢は当時のプロ野球珍プレー・好プレーなどで放送されることもあった。

その熱さはもちろん自軍にも特別扱いすることはなかった。ベンチでのエピソードを話してくれた。

「外国人選手でD.T.クローマー(02〜03年在籍)という外野手がいて、守備で捕れそうな打球を捕れなかった時があって。そしたら大島さんが『DTしっかり捕らんか!』って言って、その後僕にも『ノブ!しっかり捕れるように練習させろ!』って怒られました(笑)プレーへの妥協は一切なかったですよ」

大島監督を常に隣でサポートした(本人提供)

ただ、監督業は想像以上に激務であることは間近で見ていた。嶋田さんは試合中だけでなく、遠征の際も常に一緒にいた。大島さんにとっても嶋田さんが近くにいてくれることが何よりも安心できた。

「新幹線の席も必ず隣でね。当時DVDプレーヤーが出だしたのもあって、車内で洋画を見てたんです。そしたら大島さんが『何見てるんだ、俺にも見せろ!』って男2人でイヤホンを片耳ずつ付けて映画見たりして(笑)。あと遠征先で気分転換の時も『ノブ、行くぞ!』って一緒に行動していました」

ベンチから指示を送る嶋田コーチ(本人提供)

2期目のコーチは大島さんが監督を務めた3年間と、ヒルマン監督となった東京最終年の03年の計4年間務めた。監督とコーチとして最後のやりとりについても印象深く残っている。

「自分が声をかけて呼んだコーチの行き先を全部ケアしてから身を引いた。本当にかっこいいなと思いましたね」

嶋田さんはYouTubeなどを通じ、大島さんとの恩やエピソードを披露している。大島さんが残した功績、野球への熱は今もなお語り継がれていく。

(おわり)

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