トクサンTV×DAZNコラボによる特別番組『小笠原道大×トクサンTV “侍”の素顔に迫る』が現在配信されている。
DAZNの新プラン名である「野球一本」にちなみ、”ここぞの一本”を打ち続けてきた小笠原さんにフォーカスした企画。
トクサンTVでは小笠原さんの打撃技術に迫り、自らつくり上げた奥義を実演を交えて解説した。本番組ではグラウンドから場所を移し、小笠原さんの素顔に迫った。
高校を卒業し社会人野球に進む際のエピソードから昨年まで務めた指導者としての難しさ、そしてこれからの人生について語っている。本コラムではその一部を紹介する。
(写真 / 文:白石怜平)
プロ入り時「指名がなかったら野球を辞めていたかもしれない」
収録の場となったのは「創作ダイニングHA-LY爬竜船」。本題に入る前には店主である大嶺祐太さん(元ロッテ- 中日)が直接注文を受けた。
小笠原さんは日本ハムに入団した1997年から巨人で三軍打撃コーチを務めた昨年まで、プロ野球の世界で27年間ユニフォームを着続けていた。
野球を始めた小学生時代から考えても初めてと語るユニフォームを着ない生活。現在は家族とディズニーランドに行くなどリフレッシュする日々を過ごしているという。
小笠原さんの野球人生を振り返っていく。まずは高校時代から社会人野球へ進む話からスタート。高校通算本塁打は0本だった小笠原さんは、社会人野球に進むにあたってのある有名なエピソードがある。
暁星国際高校からNTT関東(現:NTT東日本)に進む際、当時の五島卓道監督(現:木更津総合高校監督)が「高校通算30本塁打を打った選手」と推薦してくれたことがきっかけで入社した話。
そのことについて問われると、小笠原さんは「後々昔話の中で知った」と答え、社会人時代の話が広がった。
「ホームラン打者ではなかった」と語り、プロでの現役時代は通算378本塁打を放ち、豪快なフルスイングでファンを魅了し続けてきた姿からは意外な話も展開された。
社会人野球では都市対抗野球に補強選手として出場。そこでの活躍などが評価されて96年ドラフトで日本ハム(現:北海道日本ハム)から3位で指名され入団した。
当時入社5年目でのプロ入りだったが、もしここで指名をされていなかったら「野球を辞めていたかもしれない」などとも語った。
プロ2年目、骨折が完治しないまま復帰した理由とは?
ルーキーイヤーはチーム事情で内野手登録ながら捕手としてスタート。キャンプでブルペンに入った際や、1年目にファームで過ごした苦労話も披露された。
98年、2年目で一軍定着を目指した中で起こったアクシデント。捕手を務めていた際、フライを追って飛び込んだ時に左手人差し指を骨折してしまった。
指を見せながら約1か月で戦線に復帰したことを明かすと、「まだ骨くっついてないですよね?」とトクサンもライパチも思わず驚いた。
小笠原さんより重い骨折をしてても試合に出ていた選手もおり、それを間近で見ていたという。
「代わりはいるから、その一回のチャンスで結果を出したら自分の居場所がなくなる。みんなそういう気持ちだったから」と勝負の世界の厳しさがここでも垣間見える場面だった。
その後”痛い”話からは派生し、自身がなぜ打席でリストバンドやフットガードをつけなかったのかの話題に。その理由についても語られている。
その後アテネ五輪での激闘の日々を語り、昨年まで担当していた選手育成について広がった。15年に現役を引退して即中日の二軍監督に就任してから、指導者としての勉強を積み重ねてきた。
日本ハムコーチ時代、小笠原さん同様にフルスイングが持ち味のある選手が質問に来たエピソードも番組内では披露されている。
今年からの活動については野球教室やメディアを通じて、「幅広く野球の情報を発信していきたい」と語った小笠原さん。
今後の活動に注目するとともに、番組の詳細をご覧いただきたい。
※『小笠原道大×トクサンTV “侍”の素顔に迫る』はDAZNの野球一本プランからご覧になれます!