元ヤクルトスワローズの選手で、現在は埼玉県戸田市にある野球用品専門店「ロクハチ野球工房」を営む宇佐美康広さんの全4回のインタビュー企画。
引退後は一度野球から離れるも、少年野球やイベント「絆甲子園」を通じ”自分には野球があるんだ”と気づく。
再び野球の世界へ戻ることを模索していた中、ある出来事が宇佐美さんを動かした。
第3回は「ロクハチ野球工房」がオープンしたきっかけからお送りする。
(取材 / 文:白石怜平)
転機となった父親との突然の別れ
宇佐美さんが「ロクハチ野球工房」を開店するきっかけは16年1月のことだった。父親が急病で他界したことだった。突然の訃報で北海道へと飛んで帰り、棺で目を閉じている父親を見つめ考えていた。
「親父の顔を見ながら、『親父って本当に人生楽しめたのかな』と思って。その時に、『人生一度きりだから、自分のやりたいことをやらないとダメだな』と。そこで脱サラして野球の道に行こうと決めました」
思い立ったらすぐ行動するタイプと自ら語る通り、まずはかねてから親交のあったグラブメーカー「ドナイヤ」の村田裕信社長へ相談した。
「野球関係で何か仕事をしたいと考えているのですが、何かできないですかと話をしに行きました。村田さんは、『関西の方にはグラブの湯もみ型付けをして販売をするお店はたくさんあるけれども、関東近辺でそういうお店は少ない。だから絶対やったほうがいいよ』とアドバイスをいただきました」

と言えども、まだ宇佐美さんにはイメージが湧かなかった。「グラブ販売で生計を立てるなんてできるのだろうか」。
そう思ったが、村田社長から「新小岩に関東で唯一やっているお店があるから見てきてはどうか」とアドバイスを受け、実際に足を運んだ。
「村田さんから紹介すると言っていただき、『野球工房9』というお店に翌日行きました。実際に見ていろいろ話をする中で、グラブの型付けをして修理・サポートをしてくれるお店が意外に少ないことも知った。思い切ってチャレンジしてみようと決めました」
5月に建築会社を退職し、出店への準備も始めた。家族も「やりたいことやるのがいい」と快く背中を押してくれた。野球工房9で修行を重ね、その間にお店の場所を探した。ここでも村田社長のアドバイスが活きた。
「店舗はどこがいいですかと聞いたら、当時埼玉県でドナイヤを取り扱ってるお店がなかったので、『絶対埼玉のほうがいい。埼玉初上陸と謳えてインパクトがあるから』と言っていただきました」
自宅から自転車で通える場所で探したところ、現在お店を構えている場所が空いていた。ヤクルト時代に毎日練習に明け暮れた戸田というのも、もはや偶然で済まされるものではなかった。
すぐに内見し7月には場所が確定。グラブメーカーとの契約も済ませ、修行も終えた12月14日、ついに「ロクハチ野球工房」がオープンした。
”売らずに売る”不動産営業時代の経験が礎に
ロクハチ野球工房ではメーカー約10社のグラブを取り扱っている。「ここに来ないと買えないもの」を選び抜いている。また、アドバイスも行い最適なグラブ選びをサポートしている。
「ポジションやどんなプレースタイルなのかを聞いて、いくつか提示してあげます。どれがいいか聞かれたときには『自分が実際に手をはめて、しっくりくるのが一番良い』と伝えています。それで感覚に合うのが一番なので」
また、多く寄せられる相談は、”どんなグラブを選んだらいいか”・”どんなサイズ感がいいのか”というものだという。
「よくありがちなのが、将来大きくなるから予め大きめのグラブを買えばいいという考え方。それはやめたほうがいいですと伝えています。ブカブカの靴で100m走れないのと一緒で、身体に合ったサイズのグラブでプレーしないと上達を妨げてしまいますから」

そして、他の取材でも多く話されているエピソードをここでも改めて話してくれた。今も変わらない最も印象的な出来事であるという。
「新しいグラブを買いに来た小学生の子がいて、その時使ってるグラブを持って来てくれました。見ると、全然使えるしサイズも合っている。なので、『磨いたらまだ使えるから頑張って使いな』と言ったらその子が泣き出してしまった。
せっかくお母さんを説得してようやく新しいグラブを買えると思ってきたのに、まだ使えるから買っちゃダメと言われるわけですよ(笑)。感情をどう表現していいかわからないから泣くしかないですよね。
『ごめんね。でも本当に使えるから頑張って使ってみて、使えなくなったらもう一回おいで』と言ったら2年後に来てくれたんです。確かにサイズも小さくなっていたので『何でも好きなの選びな!』と言って選んでもらいました。今でも忘れられないエピソードですね」
この出来事が口コミで広がり、宇佐美さんの人柄が知られる一つのきっかけになった。
「ご家族からチームに『ロクハチ野球工房では、グラブを磨いて大切に使いなさい』と言ってくれた。ちゃんと相談に乗ってくれるよって広めてくれたんです。口コミがきっかけで来てくださるお客様もおかげさまで増えました」

宇佐美さんの接客スタイルは”売らずに売る”ことだという。それは、不動産営業での経験が基礎になっていた。
「アパートを専門で営業していた時に、オーナーさんへ一生懸命『買ってくれませんか』と言っていました。営業なので、売り込まないといけないという考えがあったので。でも、押せば押すほどお客さんがどんどん離れていくんです。
”これは何か違う”と思ったので、ある日オーナーさんにヒアリングをしたら、『まだ建て替えをせず、少しメンテナンスして数年後にまた考えた方がいいのではないでしょうか』と提案したんです。そしたらお客様が『あなた嘘つかない人だね。あなたから買いたいです』と言ってくれました」
その後、実際に建て替え時に購入してくれて販売が成立した。”押さない”というのはグラブにおいても同じだと考えたのだ。
「という事は”売っちゃダメ=押し売りはダメ”なんだなと。話を聞いて必要だったら売ればいい。必要じゃなければその通り言ってあげる。不動産での成功体験があったので、グラブでも一緒だと思いました。
真摯に向き合って対応していけば信用していただけますし、他の人にも紹介したくなる。そのおかげで広がっていきました」
「子どもたちの成長を見られる」感じたやりがい
お店をオープンし6年半、たくさんの子どもたちと接してきた。この間に感じた変化などについて訊ねた。
「何が変わるかと言うとお客さんが変わります。例えば小学校3年生だった子が高校生になりましたといった、子どもたちの成長が見れるのでそれがすごく嬉しい。『こんなにでかくなったの!?』って(笑)。
最初に小学生でグラブ選びを丁寧に接客していくと、中学・高校になっても来てくれるので成長を見ることができる。それが何より楽しいです」

お店をオープンした16年は、宇佐美さんの長男が中学校に入学した年でもあった。日々家族でコミュニケーションを重ねる中、学年ごとの心情なども理解できたという。
「息子と常に話したりしていて、中学生は中学生の悩みもあるし、高校生は高校生なりの悩みを聞いたりするから感情移入ができますよね。お客様として来てくれた子たちにも立場を理解して話を聞いてあげられるので、一緒に成長していると感じられるんです。
そこで自分がプロで経験したこととかも交えながらアドバイスして、それがきっかけで上手くなったり気持ちが楽になればいいなと思っています」
連載の最終回は、セカンドキャリアにおける現役選手へのアドバイスそして宇佐美さんの今後の目標などを語っていただいた。
(つづく)
◆関連記事◆
【インタビュー】第3回 元横浜ベイスターズ・内藤雄太さん③