プロ野球の世界に飛び込んだことが全ての原点
宇佐美さんも人生における転機を自身で手繰り寄せ、そのチャンスをモノにして来た。数ある中でのターニングポイントを聞いた際、何が一番だったかを明かしてくれた。
「一番はヤクルトに飛び込んだことだと思います。プロからドラフト指名されるなんて微塵も思っていなかった。高校を卒業しても野球はやりたいと思っていたけれども、家のことを考えて社会人野球に進むつもりでした。
その中でもある社会人チームが熱心に誘ってくれて、夏休み期間中には内定をいただいていた。でも、ドラフトでは指名を受けたわけですよね」
宇佐美さんも3日間悩んだという。ドラフト会議で名前が呼ばれると社会人チームも学校に問い合わせていた。そこで監督が間に入りチームと交渉し、最終的に自身が下した決断は”ヤクルトで挑戦すること”だった。
「プロで通用する自信は全くなかった。ヤクルトを断って社会人を経てプロに行く道もありましたが、仮に怪我をしてプロに行けませんとなったら絶対後悔すると思いました。
もし、『プロは無理だから社会人で力をつけてから』となっていたら、全く別の人生だったと思います。なので、一番のターニングポイントは思い切ってプロ入りして東京に出てきたことだと思います」
当時18歳の青年が北海道から海を越え、本州へと上京してきた。
「津軽海峡を渡ってここに来るって結構覚悟が必要なんです」と笑顔で振り返った。