4年目終了後に引退「燃え尽きるまでできた」
4年目の11年も再び支配下に上がることを目指したが叶わず、球団からは契約を結ばない旨を告げられた。以降についての考えは明確だった。
「本来3年のところ1年プラスしていただいて4年間も居させてもらいましたので、もうこれは実力かなと。自分の中で限界を決めていたのもありましたし、30歳頃までいたらセカンドキャリアに困るだろうなとも考えていました。大学生の新卒と同じタイミングだったおかげで、今があると思ってます」
自らの考えを明確に持っている谷内田さん、野球については未練はなかった。
「トライアウトを受ける考えもなかったですし、社会人野球のお話もいただいたんですけど、野球はもう”お腹いっぱい”でした。それって幸せなことだと思うんですよね。燃え尽きるまで・納得できるまでできたので、これ以上やると趣味になってしまうと思ったので」
なお、インタビュー時は12月の下旬。当時契約更改でソフトバンクの育成選手について、主力選手が叱咤激励をするシーンが報道されていた。
これらの記事を前日にも見ていたと言う谷内田さんに、育成選手として4年間を過ごした立場を踏まえ、感じたことを訊いてみた。
「もしかしたら、自分もそう見られていたのかもしれないと思いましたね。僕の目標って、”プロ野球選手になること”だったんですよ。だから育成で終わったんです。
今も子どもたちに野球を教えていますが、みんなには『プロ野球選手になってどうなりたいの』・『プロ野球選手になるためにはこうだよね、そのためにはこれが必要だよね』などと僕なりに伝えています」
巨人での4年間、支配下に上がるために明るくももがき続けた期間だった。ただ、谷内田さんにとっては「もう宝です」と語る。その心を説いた。
「プロ野球に携わる人たちはこれだけ多くいるということ、支えてくれる人たちがいるから我々がプレーできることも知れたので、今でもその経験が財産になっています」
そして12年から、新卒と同じタイミングで谷内田さんの引退後の人生がスタートした
(つづく)
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