横浜の名将から学んだ 教えすぎが招くイップス〈第9回〉

イップスに興味を持った契機は、学童野球だった。

縁があるチームのコーチをしていた時期があり、そこで不思議な投げ方をする子を見た。A君といって、ギクシャクし、ところどころで引っかかるようなフォームをしていた。

古参のコーチに聞くと、もともとはきれいな投げ方をしていたのだが、次第におかしくなったのだという。

本来であれば、練習をすれば上達するものである。しかし、彼は練習によって動きが狂ってしまったわけだ。

コーチ陣はいろいろアドバイスを送るのだが、フォームは治らない。そのうち、A君は野球への興味を失い、別の競技へと転向していった。

私は何もできないままだったが、このことが頭の片隅に残っていた。

しばらく後、横浜高校の元監督、渡辺元智さんを取材する機会があった。高校野球の企画で、夏に初優勝した1980年のエース愛甲猛さんの話を聞きに行ったのだった。

喫茶店での取材を終え、雑談をしているとき、学童野球の話になった。その頃、渡辺さんは各地の学童野球チームを回って、指導者にアドバイスを送っていたのだった。

「みんな難しいことを教えているよなあ。小学生に向かって肘の角度とか、筋肉の使い方とか細かく指導している。うちの高校生…たとえば松坂大輔や涌井秀章あたりでも、当時は理解できなかっただろうという難しい表現で教えている」

「理解できないほど細かい表現を繰り返されると、子どもの頭の中はパニックになってしまう。どうやって動いたらいいのか、わからなくなってしまうのではないか」

渡辺さんの話を聞きながら、私はA君のことを思い出し、練習するほどにフォームが狂っていった子がいたと渡辺さんに伝えた。

「それは教え方にも問題があるでしょう。総じて教えすぎじゃないかと感じています。指導者も熱心だからこそでしょうが、難しく教えすぎると動作が狂ってしまうのかもしれません」

この言葉を聞いて、イップスの連載にトライしようと決めた。

思うように動けないという現象だけでは、記事として厳しいと感じていたのだが、指導の問題と重ねて原因や対策を追っていけば、十分に読み物になる…いや、困っているアスリートにとって救いになるかもしれないと考えた。

あのとき、何も助けてやれなかったA君に対する謝罪の意味も込めて取材をした。

自著「イップスは治る!」

日本イップス協会の河野昭典会長をはじめ、イップスに悩んだ元プロ野球選手や指導者に話を聞いた。

その1人に権藤博さんもいた。

横浜ベイスターズで38年ぶりの優勝を飾った1998年(平10)、私は担当記者としてチームに付いていた。

権藤さんは遠征に行くとき、いつも荷物にパターをしのばせていていた。理由を聞くと「パターイップスになってしまったから、ホテルの部屋で調整しているんだ」と言っていた。

監督に割り当てられるスイートルームにはふかふかのじゅうたんが敷き詰められており、調整には最適だったのだという。

当時の私は「パットの調子が悪いのだろう」と、その程度にしか考えていなかったのだが、イップスを取材し始めてから、再び話が聞きたいと思ったのだった。

少しばかり古い話になるが、2018年1月15日のことである。

都内の居酒屋で待ち合せて、取材の趣旨を説明すると、権藤さんは開口一番に言った。

「イップスは難しいテーマだぞ。きちんと解決できたらノーベル賞ものだからな」

そして、自身のパターイップスについて振り返ってくれた。

「最初は“目”からきた。グリーン上で上りと下りを見間違えて、大きくオーバーした。これが残っていたんだろうな。パットの時に手が動かなくなって、震えも出るようになった。ユニフォームを脱いで、のんびりするようになってから治ったけど、突如として出ることもある」

コーチ時代は、幾人もイップスに悩む投手と対した。

「あれこれ指導すると余計におかしくなるからな。もう理屈じゃない。球を速くするなら指導できるが、緩く投げさせるのは難しい。変に意識させず、“好きなように投げなさい”と言うしかない」

権藤さんも過度な指導は、選手の動きを狂わせる可能性があると考えていた。

「プロのコーチでもそうだが、教えすぎはいかん。能力があるからプロに入ってくる。それなのに、ああだ、こうだと細かくフォームをいじるからおかしくなる。教えすぎはよくない」

スポーツに限らず、指導する側に熱意があるほど、アドバイスは細かく、増えていく。そして、指導を受ける側が熱心で、向上心があるほど、すべてを受け入れようとして迷ってしまい、イップスに陥る可能性がある。

私は、イップスとはスポーツに限らず、日常生活の中にもあると考えている。

イップスについては、今後も記事に書いていきたい。

◆飯島智則(いいじま・とものり)1969年(昭44)8月6日、横浜市出身。93年日刊スポーツに入社し、東北地区のスポーツ全般を取材した後、東京本社野球部で98年ベイスターズの優勝、長嶋茂雄監督時代の巨人を担当し00年ONシリーズなどを取材。03年からは渡米してヤンキース松井秀喜選手に密着。05年からはNPB担当で球界問題を担当した。野球デスク、広告事業部、特別編集委員などを歴任し、24年限りで退社。現在は大学教員とスポーツライターの二刀流で活動している。

【参考文献】
・飯島智則(2018)「イップスは治る!」(洋泉社)
・河野昭典・著、飯島智則・企画構成(2020)「イップスの乗り越え方 メンタルに起因する運動障害」(BABジャパン)
・高島明彦・監修(2006)「面白いほどよくわかる 脳のしくみ」(日本文芸社)

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