日本イップス協会(河野昭典会長)の講習会が8月3日、横浜市内で開催された。
イップスとは何か? 同協会は定義を次のようにまとめている。
★以前にできていた行動が突然できなくなる。
★継続して動作に狂いが生じる。
★本人のイメージと動きが違う、または動作のイメージがわからなくなってしまう。
具体的には、「ゴルフのパットの際に手が震えてしまう」「野球のスローイングでテイクバックからトップに上がらず止まってしまう」「テニスでフォアハンドはうまく打てるのに、バックハンドで振れない」など、さまざまな症状がある。
スポーツに限らず、ミュージシャンにも「演奏時に震えが出てしまう」「指が動かない」「しびれが出てしまう」などの症状が出る。
河野会長が手がけてきたケースは幅広く、「美容整形外科医がメスを持つと震えてしまう」「そば職人がそばを打てなくなった」「アナウンサーの声が出なくなった」といった例がある。
イップスは医学用語ではない。語源は「yip(イップ)=子犬がキャンキャン吠える」であり、1930年代にプロゴルファーのトミー・アーマーが緊張するパッティングで手の痙攣などが出るようになり、引退を余儀なくされた。
のちにアーマーが、自身に起きた症状を「イップス」と表現した。
さて、日本イップス協会は、この「イップス」という不思議な症状を正しく伝えるために設立されたものであり、今回の講習会が第35回になる。

冒頭で、河野会長はホワイトボードに人の頭の絵を描いた。同協会では、最初に「脳」について学ぶ。
イップスに悩んで来所する人も、まずは脳の働きや仕組みを説明される。悩める者としては、すぐにでも克服法を教えてもらいたいわけだが、河野会長がこの過程を飛ばすことはない。
説明すると長くなるので、ここでは河野会長の著書で、私が企画構成を担った『イップスの乗り越え方――メンタルに起因する運動障害』(2020、BABジャパン)から抜粋する。
たとえば、人間が歩く場合に脳内がどのような機能を果たしているか見てみよう。まず、大脳が「さあ、歩くぞ」という指令を出すと、大脳の中の運動野に届き、脊髄を通って体へ指令が届く。同時に、運動野から小脳へも指令が伝えられる。小脳は命令どおりに手足が動いているかをチェックし、ズレがあれば修正して大脳や脊髄にフィードバックする。こうして、ようやく動きは現実のものとなる。
では、なぜイップスになると思うように動けなくなるのだろうか。それは、小脳の新しい皮質の部分に何らかの外的な要素が入り込み、正しい調整や修正が行われなくなるためと考えられる。大脳で意識して指令を出しても、小脳の無意識の働きで動作が狂い、その狂った動作が大脳に戻って実際に体が動いてしまう。これがイップスの状態である。つまり、イップスは「無意識」の部分で起きる症状なのだ。
それでは、イップスに陥ってしまった人はどのように克服するのか。
河野会長は「無意識のメンタルトレーニング」と呼ばれる、いわゆるスポーツ催眠療法を用いる。カウンセリングや心理テストでクライアントの状況を把握してから、言葉による暗示をかける。
よくわからないだろう。私も取材した際には理解できず、何度か話を聞いた後に、実際に受けてみた。2018年2月4日のことである。
イップス研究所の一室にあるリクライニングソファに座り、背もたれを深く倒し、足を伸ばし、目もつぶるよう指示された。寝ている体勢である。
「何もせず、何もしようとせず、力を抜いて。私の言葉どおりにイメージしてください」
「20段の階段を1段ずつ降りていきます。ゆうっくり……ひとっつずつ……じゅうきゅう、じゅうはち、じゅうなな……」
「1段ずつ降りていくごとに、体の力が抜けていきます。じゅう、きゅう、はち……これを降りきったら、体の力がすっかり抜けて、本来持つ力が出せるようになります。ごお、よん、さん、にい、いち」
次は、広い廊下の先にあるエレベーターに乗るシーンを思い浮かべ、20階からゆっくりと1階まで降りていく。
「目の周辺」「あご」「肩」「おなか」といった部分に意識を集中させ、その部分から力を抜くよう指示される。
本来であれば、この後に「イップス症状が出る場面」もイメージして克服していくのだが、私には具体的なイップス症状がないため、最後までは体験できなかった。
ただ、体から力が抜け、リラックスできたのは確かだった。
河野会長によれば、技術練習だけで克服できるものではなく、こうしたメンタル面――脳の無意識部分をケアしないと、イップス克服は難しいという。
効果については個人差があり、また費用もかかることから、慎重に検討して判断してもらいたい。
イップスの話をもう少し続けたい。次回は、私がイップスに興味を持ち、書籍を書くまでに至った経緯について記す。
高校野球界の名将、元横浜高校監督・渡辺元智さんの言葉が大きかった。(つづく)
◆飯島智則(いいじま・とものり)1969年(昭44)8月6日、横浜市出身。93年日刊スポーツに入社し、東北地区のスポーツ全般を取材した後、東京本社野球部で98年ベイスターズの優勝、長嶋茂雄監督時代の巨人を担当し00年ONシリーズなどを取材。03年からは渡米してヤンキース松井秀喜選手に密着。05年からはNPB担当で球界問題を担当した。野球デスク、広告事業部、特別編集委員などを歴任し、24年限りで退社。現在は大学教員とスポーツライターの二刀流で活動している。
【参考文献】
・飯島智則(2018)「イップスは治る!」(洋泉社)
・河野昭典・著、飯島智則・企画構成(2020)「イップスの乗り越え方 メンタルに起因する運動障害」(BABジャパン)
・高島明彦・監修(2006)「面白いほどよくわかる 脳のしくみ」(日本文芸社)
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