【インタビュー】第5回 元横浜ベイスターズ・森大輔さん①

「高校と社会人ではドラフトの心境が全く違った」元横浜ベイスターズ・森大輔さん 栄光の高校時代から一転、孤独と不安に苛まれた社会人時代

かつて横浜ベイスターズの投手としてプレーし、現在は医療機器メーカーの「白寿生科学研究所」に勤めている森大輔さん。

高校時代は本格派左腕として名を馳せ、敦賀気比高・内海哲也投手(現:西武ファーム投手コーチ)と加賀高・田中良平投手(元ロッテ)と”北陸三羽烏”と称された。

しかし、紆余曲折を経てプロ入りし、その後もある症状に悩まされる野球人生を送った。今回は森さんの現役時代から現在の活躍についてお送りする。

(取材 / 文:白石怜平)

高校時代は「北陸三羽烏」としてドラフト上位候補に

石川県七尾市出身の森さんは七尾工業高(現・七尾東雲高)時代、3年夏の県大会で23奪三振さらにはノーヒットノーランを記録し、”能登のドクターK”と注目を浴びた。

00年ドラフト会議では、”北陸三羽烏”は3投手とも上位指名が確実視されていた。※内海投手はオリックスから1位指名(入団拒否し、東京ガスへ)、田中投手も1位指名でロッテに入団

「高校時代は自信に満ち溢れていて、当時三羽烏と呼ばれた内海と田中にも絶対に負けないという気持ちがすごく強かったです。もちろん、僕自身もプロに入りたいという希望は持っていました」

高校時代、ドラフト上位指名が確実とされていた

しかし、自身の抱いていた強い想いとは違う方向へと導かれて行った。翌年森さんが着たユニフォームはNPBのどのチームでもなかった。

「元々高校3年の夏の大会が終わってからは、複数球団から指名したいと言っていただきましたし、自分もプロへ行くんだという気持ちはありました。

地元七尾市からプロ野球選手が誕生したことがなかったので、僕自身としても地域を盛り上げたいという個人的な思いもありました。

ですが、監督や当時の部長らが『一度社会人野球というステップを踏んでからプロに入った方がいい』という言葉をもらいまして、自分の意思とは違いましたが社会人に進む形になりました」

卒業後の進路は三菱ふそう川崎に決定。実は本来別の社会人野球チームに入部する予定だった。

卒業間近に活動が縮小されクラブチーム化されることになってしまい、より充実した環境で野球ができるよう周囲の働きかけでなんとか決まったというエピソードもあった。

そして、ここが長いトンネルの入り口となることは予想するはずはなかった。

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