金足農と吉田大輝に“判官びいき”は必要ない〈第7回〉

金足農業高校(秋田)が、秋田大会決勝で鹿角高にサヨナラ勝ちし、2年連続8度目の甲子園出場を決めた。エース吉田大輝投手(3年)は持ち前の球威に加え、制球力とマインドコントロールが成長。兄・輝星(オリックス)が2018年(平30)に巻き起こした「金足農旋風」の再現を狙う。(表紙写真は2024年の吉田大輝=Ⓒ飯島智則)

スクイズでサヨナラ

「スクイズだろう」
「スクイズに違いない」

多くの人がそう思う中で、スクイズを決めるのは簡単ではない。決めた高橋海生内野手(2年)の技術はもちろん、サインを出した中泉一豊監督の決断と勇気もたたえていいだろう。

金足農にとって、スクイズは「伝家の宝刀」といっていい。多くの人には、2018年(平30)の甲子園、準々決勝の近江戦でツーランスクイズが印象に残っているだろう。1点を追う9回、一挙にサヨナラ勝ちを決めた。

しかし、秋田県内ではそれ以上に「伝説」といえる試合がある。金足農の基礎を築いた嶋崎久美監督の時代である。

1997年(平9)春季秋田大会の決勝で秋田商と対戦した。

金足農のランナーが三塁にいる場面で、秋田商業の小野平監督(当時)はスクイズを防ぐシフトを敷いた。レフトがサードの位置にきて、サードは本塁に近いところまで前進してきた。

さすがにバントは厳しいが、強攻すれば、ヒットゾーンだらけである。小野監督は失点よりも、金足農のスクイズを防ぐ…相手の勝ちパターンを封じることに意味があると考えたのだった。

しかし、嶋崎監督はスクイズのサインを出し、キャプテンがシフトを破る絶妙なスクイズを決めた。

元監督の嶋崎久美氏(Ⓒ飯島智則)

嶋崎監督はいつも言っていた。

「田舎の農業高校で、中学時代に実績ある選手ばかりが集まるわけじゃない。学校の偏差値だって大したことないし、勉強が得意な子ばかりでもない。でも、そんな選手だって、金足農で野球に打ち込めば、どんなエリートとだって勝負できる。人間には可能性がある。それを子どもたちに教えてやりたかったんです」

次々に打球を放つノックで守備力を鍛え、得点はバント、スクイズを多用した。

「バッティングでヒットを打つには、ある程度のセンスが必要だが、守備は練習すればするほどうまくなる。バントだって同じ。それを鍛えていけば、凡人が、天才やエリートにも勝てる」

1984年(昭59)夏は初出場でベスト4まで勝ち上がり、準決勝では桑田真澄、清原和博を擁するPL学園(大阪)を相手に、2-3と互角の戦いを演じた。

甲子園に吹き荒れた「金足農旋風」の元祖である。地方からやってきた農業高校が、最強といわれたエリート軍団を相手に接戦を展開し、甲子園のスタンドは大いに沸いた。多くの観客が、金足農の勝利…いや、PL学園が負ける場面を期待していた。

2018年も同じである。

吉田輝星投手を擁し、並みいる強豪を倒していき、決勝では大阪桐蔭高校と対した。日本中を巻き込んだ「金足農フィーバー」「金足農旋風」は、言い換えれば「判官びいき」である。弱い者を応援したくなる、多くの人々の思いが、生み出した現象である。

左は春夏連続出場で夏はベスト4入りした1984年、右は準優勝した2018年の記念碑(Ⓒ飯島智則)

しかし、もはや金足農は、そんなムードを武器にするようなチームではない。8度目となる夏の甲子園出場で、初めての2年連続である。エース吉田大輝は、昨年も甲子園のマウンドを経験している。

準決勝の明桜に1-0で完封勝利し、決勝では10回1失点と、援護が少ない中で力を発揮している。有利なカウントを作り、ピンチを招いても冷静に対処するマウンドさばきは、昨年とは比べ物にならぬほど成長している。                                                  

1984年の準決勝で対戦したPL学園のように、2018年の決勝で敗れた大阪桐蔭のように、スタンドから「強くて憎まれる」ほどのチームとして勝ち進んでほしい。今回はそんな思いがある。

秋田大会の決勝で対戦した相手は、総部2年目の鹿角高校。2024年(令6)4月に花輪高校、十和田高校、小坂高校が統合して開校したばかりである。新設校の躍進を願う「判官びいき」の空気は、少なからず球場のスタンドにあっただろう。

そのまま「判官びいき」は秋田に置いておき、甲子園では常連校として堂々たる試合を見せてほしい。得点力に不安はあるものの、エース吉田を中心とした守りが堅い現チームには、十分にその価値があるといっていい。

私にとって、金足農は特別な学校である。何しろ、1993年(平5)に記者になり、最初に単独取材をしたチームなのだ。社用車で道に迷いながら学校に向かった日のことは、今も覚えている。車の中で、何度も何度も質問をリハーサルしながら車を運転した。

実際の取材時には緊張で何も言葉が出なくなってしまったのだが、選手たちが「写真を撮るならポーズしますよ」「オレのコメントも載せて」などと明るく対応してくれ、何とか取材を終えられた。このときの3年生に、吉田輝星、大輝の父、正樹さんがいた。

昨年限りで退社した日刊スポーツで最後の取材は、昨夏の甲子園での金足農の試合だった。 金足農で始まり、金足農で終わった記者人生である。

愛すべき金足農が、また一つ大きな存在になる夏だと期待している。

◆飯島智則(いいじま・とものり)1969年(昭44)8月6日、横浜市出身。93年日刊スポーツに入社し、東北地区のスポーツ全般を取材した後、東京本社野球部で98年ベイスターズの優勝、長嶋茂雄監督時代の巨人を担当し00年ONシリーズなどを取材。03年からは渡米してヤンキース松井秀喜選手に密着。05年からはNPB担当で球界問題を担当した。野球デスク、広告事業部、特別編集委員などを歴任し、24年限りで退社。現在は大学教員とスポーツライターの二刀流で活動している。

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