【インタビュー】第11回 元ヤクルト・副島孔太さん ①

ルーキーイヤーでぶつかったプロの壁

迎えたルーキーイヤー、1年目は高い壁がそびえたっていた。中堅にはこの年1番打者として打率3割を打ち、ゴールデングラブ賞も受賞した飯田哲也さんや、規定打席未満ながら打率.338を打った真中満さん。

左翼にはこの年本塁打王を獲得したドゥエイン・ホージーさん、そして右翼には21本塁打をマークした先輩・稲葉さんが君臨していた。

スラッガーとしてアマチュア時代は実績十分の副島さんでも入る隙はほぼなく、一軍では10試合の出場にとどまった。チームは一度も首位の座を明け渡さず、野村監督となってから3度目の日本一に輝いた。

「1年目は1ヶ月ほどしか一軍にいれなかったですし、自分の力不足をすごく痛感させられました。どれだけ自分の調子が良かったとしても、それ以上の選手がいたら出れないし、常にそういった選手たちがいる世界なので。平等にはチャンスは来ないんです、だけどその中に食い込んでチャンスをどう掴むかを考えていました」

2年目、キャリアハイの108試合に出場

98年、2年目のシーズンを迎えるにあたり「もう打つしかない」と、自身のセールスポイントである打撃をまずは磨くべく臨んだ。

1年目の時に、”何かを変えないきゃいけない”と上で語っていた副島さん。どんな変化を加えたのかを訊いた。

「1年目にファームで試合にずっと出させてもらっていて、夏ぐらいまではコンスタントに本塁打も出てたのが、夏ぐらいから打球が飛ばなくなって、体重も減ってしまいました。体も鍛えなければ駄目だと思っていた中で、野村監督から『太ももを3センチ太くしろ』と言われたのもあり、トレーニングには一層力を入れました」

2年目のキャンプでは一軍メンバーに入り、アピールを続ける日々だった。この時、当時現役だったある先輩の存在が大きかったという。

「馬場敏史さん(現:阪神一軍内野守備走塁コーチ)から『一日一善ではないけれども、1試合で1本ヒットを打つとかの積み重ねだよ』と言っていただきました。まだスタメンでは出れないので、オープン戦で途中から行く1、2打席の中でなんとか結果を出していく。その積み重ねでした」

指導後にインタビューに応じていただいた(23年10月撮影)

シーズンが開幕すると、3戦目には6番・右翼でスタメン出場。以降も出場機会を増やし、時には3番や5番といった中軸も担った。この年は自己最多となる108試合に出場し、打率.266・8本塁打・38打点をマークした。

野村さんはこの年限りでヤクルトの監督を退任しており、一緒にプレーする最後のシーズンでもあった。

「最初のキャンプからオープン戦で結果を出せたのが大きかったです。野村監督の最後の年になりましたけども、監督がいる間になんとか結果を出して恩返ししたい想いでした」

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