【インタビュー】第7回 元横浜DeNAベイスターズ・黒羽根利規さん②

「どうしてもメスは入れたくなかった」元DeNA・黒羽根利規 飛躍の前にあった大怪我からの復活と打撃向上のきっかけ

2020年まで横浜DeNAベイスターズ・北海道日本ハムファイターズで捕手としてプレーし、現在は野球塾の講師などを務めている黒羽根利規さん。

地元のベイスターズへ入団し、少年時代から憧れの三浦大輔投手(現監督)とバッテリーを組んだ試合をきっかけに出場試合数を増やしていった。

12年には自身初、そして「横浜DeNAベイスターズ」としても初の開幕スタメンマスクを被り、14年には正捕手としてリーグトップの盗塁阻止率を記録するなど活躍の機会を増やしていく。

ただ、実はその過程では大怪我を乗り越えた経験もあった。第2回はDeNA時代の表と裏に追った。

>1回目はこちら

(取材 / 文:白石怜平、以降敬称略)

DeNA初年度は序盤にスタメンも、後半はファームに

11年にエース・三浦大輔投手とのバッテリーでこの年の覇者・中日相手に1−0での勝利を導いて以降、大きく出場機会を伸ばした黒羽根さんは12年、新生横浜DeNAベイスターズの開幕戦でスタメンマスクを被った。

自身初の開幕スタメン、そして3戦目にはここでも三浦投手とバッテリーを組んでDeNAとしての初勝利を導いた。

以降、この年巨人から復帰した鶴岡一成・現DeNA二軍バッテリーコーチとの併用でスタメンを張り、前年をさらに上回る61試合に出場した。

しかし打率が.125と不調だった影響もあり7月29日を最後にスタメンからは名前が消えてしまった。後半は高卒ルーキーの髙城俊人・現DeNA一軍用具担当補佐兼ブルペン捕手が黒羽根さんの代わりを務める形となり、夏場からはファームで過ごす日々だった。

右ひじ内側側副靱帯損傷から復帰へ

巻き返しを図る13年、追い討ちをかけるように選手生命に関わるアクシデントから始まった。

「13年のキャンプで、紅白戦の時に(ナイジャー・)モーガンがセーフティバントを決めた際に、捕って回転して投げた時に”あっ”ってなり…投手への返球も山なりだったのでその後MRI検査したら『右ひじの内側側副靱帯を損傷しているね』と言われたんです」

実は肘の靭帯を損傷していた(撮影:moose sports)

この怪我を負った場合、多くはトミー・ジョン手術を受けるため、長期のリハビリでシーズンを1年以上離脱することを意味する。

黒羽根さんはルーキーの時に右肩の関節唇も損傷していたが、その時と同様に「どうしてもメスは入れたくなかった」とし、手術をしないで復帰する方法を選んだ。

「保存療法をしながらボールを少しずつ投げ始めて、できるところからやりましたね。徐々に続けて行くと痛みが取れていきました。結果的にリハビリだけで半年ほどで復帰しました」

なお、詳細は個人差によるものや医学的な定義・観点などの兼ね合いもあるので述べることはできないが、黒羽根さんの事例は保存療法で競技復帰したものとして学会でも発表されている。現役中そして現在も肘については痛みはないという。 

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