副島さんが教わった”ノムラの考え”
野村監督の名言の一つが「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」
その教えを受けた選手の多くは今も野球界でプロアマ問わず指導者として活躍しており、副島さんもその一人。ヤクルト時代にプレーしたOBの方々もテレビ番組を始めいろいろなところで語っているが、副島さん自身はどんなことを教わったのか。
「ノートは今もありますが、成功するための方法をいくつにもわたって説いてくれていました。それを達成するためにどうアプローチしなきゃいけないかを自分で紐解きながら、結果につなげることも考えていました。
そういった考え方や、”人としてどうあるべきか”も教わったので、監督の期待に応えたい想いが大きな原動力にはなっていましたね」
期待に応えるために行ったことは副島さんの習慣、そしてチームの文化へとなっていったことがあった。
「オフって言われても完全な休みはないと思っていましたね。自分よりも力が上の人たちが休んでいるからこそ練習して、追い抜くための努力は当たり前でした。それはもうヤクルトとのチームカラーとしてあったと思います」
翌99年からは若松勉さんが監督に就任。01年日本シリーズではあの伝説の本塁打が放たれることになる。
(つづく)
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