昨年メキシカン・リーグのレオネス・デ・ユカタン(英語名:ユカタン・ライオンズ)でプレーし、引き続き新シーズンに臨む乙坂智選手。
DeNA時代からウィンターリーグに挑戦を続けるなど、自分自身の変化を求め己を高めてきた。
2021年にDeNAを退団後、かつてプレーしたこともあるメキシコに本格的に挑戦を開始。築いてきた点と点が線になっていくスタートを切った。
(写真 / 文:白石怜平)
「自分ができることが何か」から見出した武器
22年、乙坂はディアブロス・ロホス・デル・メヒコ(メキシコシティ・レッドデビルズ)に入団し、ここから本格的な海外挑戦が始まった。
入団は17年に参加したウィンターリーグ時からの縁だった。当時所属していたチームの監督がレッドデビルズのGM補佐をしていたことから、乙坂へオファーするに至った。
自身も「一番最初に声をかけてくれたチームに」という想いがあったことから即決し、入団が決まった。
先がなかった状況から飛び込んだ異国の地。ここで早くもカルチャーギャップを受けることになる。開幕直前にロースターを外れ、自由契約となってしまった。
移り変わりが激しいと聞いていたが、これからチャレンジが始まるというタイミングだっただけに、ショックもあったという。
しかしそれでも、また縁はつながった。解雇から数日後にはブラボス・デ・レオン(レオン・ブラボス)との契約が決まったのだ。
「(レッドデビルズを)リリースされてから2日目に来たのですが、それも17年に行った時のチームメイトが(ブラザーズの)監督をやってて、僕がリリースされたら『必ず獲ってくれ』と言ってくれて入団できたんです」
結果的に1ヶ月半でトレードで移籍となってしまうのだが、「ただ、この期間は僕の野球人生の中でまた初心に帰れて心から頑張れた1ヶ月半でした」と語るほど充実していたのだという。
「何より拾ってもらった恩。このチームのために体壊れてもいいという気持ちでやってたので、それで頑張れたと思います。あの経験がとても大きかったです」

移籍したサラペロス・デ・サルティージョ(サルティーヨ・サラペメーカーズ)ではシーズン終了までプレー。メキシコ初年度は2チームで78試合に出場し、打率.367・26盗塁の成績を残した。
特に伸ばしたのが盗塁数で、日本では一軍で通算19盗塁だったが一気に増えた要因について訊いた。
「日本にいる時はできないことをやろうとしていたのですが、ここではできることを全力でやろうと取り組んでいました。後は自分を客観視するようになったからだと思います。
メキシコに行ってすぐ解雇になってしまってから、生き残るために『この環境の中どこで勝負できるのか』『自分の強み・できることは何か』を考えて、自分を分析するようになりました。日本にいる時にやっておけばよかったと思うのですが(苦笑)」

3チームを渡り歩く激動のシーズンだった海外1年目。ただ、この経験が今も挑戦が続いているための礎になっていた。
「僕は2週間ごとの契約でした。『明日野球するために頑張る』ので、すごく気が張っていますし、体もあちこちに異常が出るんですけれども、ここまで研ぎ澄まして野球したことがなかったので、すごくいい経験でした。
気持ちも充実してましたし、通訳さんやチームのサポートがあった。そして何より一番は『なんとかチームの力になりたい』。その想いでした。家族に元気な姿を見せたかったですし、”自分よりも誰かのため”にという想いが原動力でしたね」
一年間プレーして感じた日本との違い
異国でやる野球は、日本との違いをさまざまなところで感じたという乙坂。メキシコと日本で野球にどんな違いがあるのかを明かしてくれた。
「日本はある程度対戦経験のあるチームと何度もやるので、相手のイメージがつくのですが、メキシコは入れ替わりが激しいので、前半対戦しても後半は半分ほどメンバーが違うこともあります。
初対戦が多いので、試合での観察やブルペンでの投球を見たりしましたね。野球の違いはチームの特徴もありますが、標高が高いので野球自体が変わります。
標高高いチームだと長打が多いですけども、逆は小技を絡める。日本のように進塁打を重ねるロースコアのゲームになりやすいです」

メキシコに滞在・生活に当たっての懸念材料は現地の治安について。乙坂も実際に日本では見ない光景を頻繁に目の当たりにしていた。ただ、アメリカやベネズエラなどアメリカ大陸を渡り続けている男にとっては免疫がついていた。
「ウィンターリーグの時に目の前で人が撃たれたり、バスが山賊に襲われたり。よくありますよ。それを悪いと言うなら悪いです」
自身の身にも常に危険が付きまとっていた。時には”ナタを持ったおじさん”がママチャリに乗って追いかけてきたこともあったそうで、「逃げます。全力疾走で(笑)」と笑い話にしてくれたが、命を落とす可能性と隣り合わせだった。
ただ、こういった出来事も全て自らの引き出しになった。新たな気づきがどんどん増えていく中で、感じたことを話した。
「もっと悪いと思っていました。やはり実際に行ってみないと分からないんだなと。と言いますか、メキシコの治安が悪いのではなくて、日本が良すぎます。夜歩いても何も危険なことはないですから。
メキシコやベネズエラで夜歩いてると背筋がピンと張るんです。何かあるんじゃないかと。日本がやばいんです(笑)」
日本では当たり前だったことが当たり前ではなく、常に思っていたことと違う出来事に直面する日々。そこに順応するために考え方を大きく変えた。転換した発想についてこのように明かしてくれた。
「いい意味で鈍感になることが大事なんだなと。過敏になりすぎると気が狂ってしまいますので(笑)。一年目メキシコ行った時はどうしても『日本だったら』を主語にしてしまってたんですよ、僕の脳内で。
『日本だったらこうなのにな』と思うととてもしんどくなる。これじゃ持たないと思って主語を『こういうこともあるよな』に変えました」

海外での一年目を終えた乙坂はここでは満足せず、この年もウィンターリーグで挑戦の旅を続けた。
(つづく)
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