【インタビュー】第7回 元横浜DeNAベイスターズ・黒羽根利規さん③

「自分がどんな立ち位置ならチームにプラスか」黒羽根利規さん ファイターズ移籍後に開いた新たな境地と若手から受けた刺激

2020年まで横浜DeNAベイスターズ・北海道日本ハムファイターズで捕手としてプレーし、現在は野球塾の講師などを務めている黒羽根利規さん。

14年に正捕手として活躍するも翌年出場機会を減らし、チームが球団初のクライマックスシリーズ(CS)進出を果たした16年には一軍出場なしに終わった。

再起をかけた17年、慣れ親しんだ地元神奈川を離れ新たなチャンスを掴みに行った。第3回は現役として最後の場所にもなったファイターズ編をお送りする。

>第2回はこちら

(取材 / 文:白石怜平)

ファイターズ移籍で得たチャンスと変化した自身の役割

ベイスターズでプレーしていた17年、前年に続き一軍での出場がない黒羽根さんは来るべきチャンスに備えてファームで汗を流していた。そんな中、ファイターズからトレードの打診が来た。

「ファイターズの捕手陣に怪我人が続いたタイミングでした。もうこれはチャンスしかないと思いました」

7月6日にエスコバー投手とのトレードで入団が発表された。当時エスコバー投手が来日1年目だったこともあり、異例のトレードと話題を呼んだ。黒羽根さんは7月18日に2年ぶりの一軍出場を果たした。

「昔のトレードはネガティブなイメージがあったかもしれないですが、今はお互いがそれぞれのピースにちょうど合うから交換する形になっています。

そこのピースに入らなければファームに行くし、入れれば定着できますから。なので僕は思い切って攻めていきましたし、結果もそこそこ出たので翌年もファイターズでプレーできました」

ファイターズ移籍はチャンスになった(撮影:moose sports)

17年は終盤19試合に出場し、うち10試合がスタメンマスク。打率も30打席ながら.276をマークした。

新天地に移り、初めて違うチームでプレーすることになった黒羽根さん。移籍時から当時のチーム事情を理解した上で臨んでいた。

「若い選手が多いですし、捕手で言うと(当時高卒3年目の)清水優心を育成する方針もあったので、自分がうまくバックアップしながら必要な選手にならないといけないと考えていました」

ちょうど30歳で移籍し、特に20代前半の選手が多いファイターズの中ではベテランとも言える立ち位置になった。18歳からプロのキャリアにおける”4ヵ年計画”を立てるなど、クレバーな男はここでも自らの状況を理解していた。

「年齢を重ねて自分のことも客観的に見えていたので、『自分がどんな立ち位置ならチームに最もプラスになるだろう』というのを考えていましたね。

若い選手たちのバックアップをしながら間で緩急をつけて僕が先発で行くであったり、終盤の緊迫した場面で後半から出るであったり。そういう役割を担うと思っていました」

自らを客観視して若い選手たちのサポートも行った(筆者撮影)

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